Tuesday, June 27, 2006

またこちらに戻ってきました

年の初めにlivedoor blogをblogger.comに移転したばかりですが、諸般の事情で(いつも諸般の事情でくくっていますが)こちらに戻ってきました。

諸般の事情は他のところに書いていますが、私めが現在中国大陸の沿岸都市、廈門に出稼ぎに来ておりまして、桃源郷のようだった勝間から超高層マンションの林立する、これが人間の住む場所か!といわんばかりの大都会の中心地に移り住んだ事から始まります。勝手に嘆いておりましたが、しかしいい加減なもので、住めば都、そこそこ快適なのです。

実に現代的なマンションの13階にLANを引いて、もちろんCATVでワールドカップなぞ見られる状態でしたが、オーストラリア戦のヒディングのガッツポーズを見た瞬間、W杯なぞあったのかと忘却の彼方なのです。

快適とはいえ、十分不便さもあったのです。こちらでは米国のウェッブサイトのいくつかが閉鎖されているのです。特にニュース系は厳しいそうで、それに輪をかけて自由に発言ができるblog系はさらに厳しい。おかげで私が移ったblogger.comにアクセスできないのです。仕方なく、いや発言の場を求めて情報統制の緩い日本のblogサイトに戻ってきた次第であります。

この「勝間通信」は「廈門通信」として名を変えて続けようかとも思いましたが、「東アジアは停看聴」が残されていました。以降廈門での生活はそちらでご紹介していきます。よろしくお願いいたしますのです。 

Monday, June 26, 2006

[勝間通信] から [廈門通信] へ

生活の場を勝間から中国沿岸都市・廈門に移して19日が過ぎました。あわただしいこの間の出来事を blogger.com で書きつづろうとしましたが、残念なことに、ここ中国では米国系のサイトやブログに繋がりません。ブログというメディアの持つ自由な発言と情報のやり取りがここでは問題があるのでしょう。仕方なく以前お世話になった livedoor に記事の掲載を戻すことにしました。

移転の手続きが面倒くさいので、[burikineko's blogspot] に記事を集約します。そこからアクセスするのが一番手っ取り早いかとおもいますのでよろしくお願いいたします。  

Sunday, June 25, 2006

[廈門通信] 部屋探し

[廈門滞在16日目] 廈門に来てからすでに二週間が過ぎました。先週はじめに雨期が去り、廈門は真夏です。

なお、今後しばらく、[廈門通信] は[A Cup of Asian-Tea・東アジアは停看聴] で紹介していきます。そちらをご覧になってください。

勝間の住人からメールが届きました。デッキテーブルの上で猫たちがごろんと和んでいるそうです。私にとって勝間は桃源郷のようなものなのでしたが・・・。こちら、廈門に来て全くの都会生活者へと変貌、うーん、こんなライフスタイルもあるのかとちょっと複雑な心境なのです。

Thursday, June 15, 2006

[廈門通信] いささか厄介なこと

[廈門・8日目] 廈門滞在八日目です。 blog の更新をしなければなりません。ところが問題が再確認されました。blogger.com のサイトにアクセスできません。投稿は何とかできるのですが、ウェッブ上で確認ができません。やはり何かが起こっているようです。

オフィスの秘書に聞いてみます。彼女、米国帰りでインターネットをフル活用できる人間です。彼女の返事は予想以上のものでした。台湾のサイトとともに米国のサイト、特にニュース関連のサイトは総なめにアクセスできないそうです。blog は自由に発言のやり取りできることが売りです。どうもそんなことが背景にあるようです。残念なことに私のblog は米国のサイトが主催しているもので、全世界に網を張り巡らしています。中東の国同様、コントロールされているのかもしれません。

日本のblog サイトにアクセスしてみます。これが何の問題もなくアクセスできるのです。日本は自由でとても幸せな、世界でも希有な国なのかもしれません。この件でそんなことを感じました。

それでは・・・今後、廈門滞在中のblog をいかに更新していくか、元のライブドアに戻るか、思案中です。とりあえず状況を報告させていただきます。

Wednesday, June 7, 2006

[勝間通信] 月明かりの勝間

[農暦] 5月12日 [月齢] 11.3 宵月 [潮汐] 若潮 [勝間の天気] 快晴

久しぶりに月の見える勝間の夜空です。切れたタバコを買いに部落のお店まで歩いていきます。夏草の香りが漂ってきます。空気にも味があります。気持ちがいいのです。

明日からしばらく中国沿岸都市、廈門に出かけます。勝間の風景ともしばらくのお別れです。じっくりと味わうことにしました・・・

さて、明日以降、このblogは[廈門通信]と、タイトルを換えることになると思います。生活環境が大きく変わることでしょうが、その違いを生活の中から記事にしていくつもりです。ではでは・・・ ブリキ猫 拝

Monday, June 5, 2006

[勝間通信] 羽田界隈・風情

[農暦] 5月10日 [月齢] 8.88 宵月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 曇り

shinさんが企画する散策はかなり気ままです。羽田空港を訪れた後川沿いの船だまりを散策します。shinさん、潮の香りがしないといっています。

船だまり界隈の風景には風情が感じられます。土手の内側に小さな廟が置かれていました。よく手入れのされた廟です。近くの方々が日々手をかけておいでのようでした。農村でいえば入会地のような場所です。みなが手をかけて守っている姿が伺えます。小さな白黒猫が中で休んでいました。

多摩川の河口と海老取り川が合流するあたりに、いろいろな色の旗竿がたっています。何を意味しているのでしょう。小さな土手も沖にせり出しています。ここには記念碑が設けてありました。関東大震災の際、焼死された方々の遺体が流れ着いたそうです。

我々四人、羽田四丁目あたりをぶらぶらしながら京急穴守稲荷駅近くの蕎麦屋で穴子を食しました。江戸前の穴子でしょうか、白焼きは小振りでしたが美味でした。しかし天ぷらはコロモも穴子も今ひとつでした。もしかしたら江戸前でなかったのかもしれません。

shinさんの気ままな散策の企画、十分楽しめました。前回の椎名町界隈の散策もそうでしたが、不思議と私たち四人が持ち回る企画は当たっています。次回が楽しみです。さて、わたしは廈門から参加することになるのでしょうか・・・

Sunday, June 4, 2006

[勝間通信] 羽田界隈・船溜まり

[農暦] 5月9日 [月齢] 8.06 九夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 薄曇り

shinさんが企画する散策はかなり気ままです。shinさん、なにしろ飛行機を見たい、で羽田空港のターミナルを訪れました。

次はどこに?shinさん、歩いて空港を出るといいます。昔は芦原だった羽田村まで歩こうというのです。ここでもTakaHiroさんの事前調査が活きました。歩いてはちょっと無理だろうということで、羽田線で一駅戻ります。天空橋まで。ところが自動切符販売機に駅名が表示されません。ああでもない、こうでもないといじくっていると、後ろに客が並んでしまいました。仕方なく、窓口を探して聞きました。「1番と2番の販売機を使ってください」、「どっかに書いてあるんですか?」、「ありますよ」。初めての人にそんな判断できません。いやですね、無人化って、機械化って。(Suica買えよ!って声が聞こえてきそうです。あたしプリペイドっていうの嫌いです)

天空橋駅を出ると、そこは運河でした。羽田空港を埋め立てたときにできた運河です。海老取川と呼ばれています。TakaHiroさんが先導してくれました。運河に架かる橋を渡ると羽田町、釣りを楽しむ人たちの船だまりになっています。堤防の内側に緑道です。風情ありです。この径の先は多摩川の河口、海老取川と合流する辺り一帯に海鳥の姿が見受けられました。こうなるとkomachiさんの出番です。

komachiさん、アジサシだ、カルガモだ、カワウだと指を指しては解説してくれます。生き物の姿を見て、鳴き声を聞いて名前がわかる、これはかなり私にとってしゃくに障るのです。うらやましいのです。勝間の棚田で見受ける雑草すら判別が難しいわたしですから。

この辺り、小動物と近いというのがとてもいい。堤防の内側、川沿いを上流に向かって歩きます。空港ターミナルの少しむっとした暑さはここにはありません。川風がとても気持ちいい。shinさん、潮の香りがしないといっています。きっと引き潮なのでしょう。釣り船を係留するデッキに出て全員で写真を撮りました。

陽も陰り、街中へと歩み始めました。車道の脇には古い煉瓦造の堤防がちょこっと見えています。この辺りもゼロメートル地帯だったのかもしれません・・・

Friday, June 2, 2006

[勝間通信] 羽田界隈・空港

[農暦] 5月7日 [月齢] 5.78 弓張月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

shinさんが企画する散策はかなり気ままです。時として同伴者は戸惑います。昨日の羽田空港界隈の散策でもそんなことがありました。

集合場所に指定されたのが京急蒲田駅。shinさん曰く、小さい駅だから改札口は一カ所だろう、そこで落ち合うことに、とのメールです。出かけてみると、京急蒲田駅付近は再開発の真っ最中、駅も立派、改札口も二カ所、おかげでTakaHiroさん、待ち合わせの場所を間違え遅れてしまいました。

shinさん、なにしろ飛行機を見たい、で京急羽田線に乗り換えて羽田空港のターミナルを訪れます。新しくなったこの建物、私には迷路みたいなものです。子供の頃にソビエト連邦の旅客機、ツポレフを見に来た当時は単純なつくりで分かり易かったのですが。ともかく屋上のデッキまでエレベーターで上がります。このターミナルビル、ビッグバードというそうです。東京湾側のC滑走路を眺めます。

国際便が成田に移ったことで、ジャンボ機はほとんど見当たりません。エプロンに一機係留されていたぐらいです。そんなこともあってか、長閑な気分になりました。デッキ上の小さなお店で、shinさんはシャーベットをごちそうしてくれました。少し暑い、のどを潤しながらひっきりなしに着陸してくる旅客機の様を眺めます。そう、今日は海側のC滑走路は着陸専用になっていました。あらかじめ下見をしていたTakaHiroさんのアドバイスで、離陸が眺められるもう一棟あるターミナルに向かいます。

やはり離陸する姿は勇ましい。前輪を空中にあげた後、ぐっと機種を上げて飛び立っていく。私には30度近くあるのではないかと思ったのですが、TakaHiroさんは10度を少しでる程度だと話してくれました。shinさんはいたく感激していました。

次はどこに?shinさん、歩いて空港を出るといいます。歩いて?確かに昔は道路脇の歩道で外から空港にいけたはずです。昔は芦原だった羽田村まで歩こうというのです・・・

Thursday, June 1, 2006

[勝間通信] 勝間の香り・廈門の拠点

[農暦] 5月6日 [月齢] 4.85 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

廈門へ生活の拠点を移すことになってみると、勝間の風景にはげしく惜別を感じます。土の香り、空気の味、深い緑。どれをとっても、きっと廈門では探し当てることができそうにありません。

廈門では住んでみたい場所があります。かつて居留地だった小さな島。ここに車は入れませんし、坂が多く、どこからでも海が見え、樹木が多い。古い商館や民家も多く、本島と異なり路地があちこちにあります。毎日フェリーに乗ってでかける生活は、とてもスローな気分がします。外国人がはたして居住できるのかどうか、実現したいのですが・・・

夏を迎えた勝間、綺麗な鳴き声が聞こえています。姿は見えません。この風景もあと僅かで離れなければなりません。かなり寂しい気分になっています。

Wednesday, May 31, 2006

[勝間通信] 同化・韓流そして廈門

[農暦] 5月5日 [月齢] 3.9 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

勝間の生活も七年にはいっています。今ではひたすらこの風景の中、この空気の中、この生活に同化し続けたい思いでいっぱいです。許されるなら・・・

昨夜、新宿大久保の韓国家庭料理屋で韓流会食会がもたれました。私は今では韓流をかなり理解しています。韓流の先輩キョンニと師匠のジュンサン兄お二人から十分に指導いただいた結果です。それでもお二人から見れば不十分の様子でした。

昨日の会食には、愛宕山の作家、”ふたまた君”も参加しました。この名前、彼の知人で先日亡くなられた久世光彦氏が命名したものです。実はこの会食会、私が中国廈門に来週から出稼ぎにでかけることになったことで、送迎を兼ねたものです。感謝です。

本来なら、勝間でおとなしく勝間の風景に同化していたいのですが、現金がなければ生き残ることの難しい現在の社会、同化実現のために出稼ぎを決めたものです。どのくらいの期間滞在するかは未定、プロジェクトの長さにもよるでしょうし、途中で肩を叩かれるかもしれませんし、政治状況が許さないこともあるやもしれません。台湾人・中国人以外、外国人はアメリカ人と日本人が一人というのも面白そうです。とりあえず飛び出してみることにします。

Tuesday, May 23, 2006

[勝間通信] blog用写真

[農暦] 4月26日 [月齢] 25.6 二十六夜月 [潮汐] 長潮 [勝間の天気] 小雨

五月がこのように厚い雲と強い風で終始してしまうと農作物にはきっと悪影響が出るでしょうね。すっきりした五月晴れが見たいものです。

先日のこと、「blogの更新は大変ではないのですか?時間かかりませんか?」とキョンニに問われました。私の答えは「デジカメで写真を撮るときに大筋決まってしまいます。ですから時間もかかりません」でした。デジカメといっても、私の場合は携帯電話についてくるデジカメです。携帯するのに問題もありません。いたく気楽に考えています。

問題はちょっと凝ったアングルとか被写体を選んだときです。この天気でアトリエの周囲を覆っている蜘蛛の巣に水滴がついていました。見た目になかなか印象的です。しかしいざ撮影となるとこれが難しい。何度も撮り直すことしばしばでした。焦点を合わせる、蜘蛛の糸と水滴をはっきりと映し出す、これができません。結果やはりうまくはとれませんでした。残念。

Monday, May 22, 2006

[勝間通信] 野菜の保存

[農暦] 4月25日 [月齢] 24.4 有明月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 薄曇り

夏の初め、蕗が至るところで見当たります。自生がおおく、土さえ肥えていれば出荷できますから、勝間の人たちは朝早くにでて、蕗を茎の根元から切り取り、その場で葉を落とし、長さをそろえて持ち帰っています。

週末、アトリエの畑の蕗を湯通しして保存しました。まだ食べ方は決めていません。農家の家々で保存方法はいろいろのようです。冷蔵庫に保存し、時々に取り出し油で軽く炒めて味付けする方。醤油できつく味を付け冷凍保存する、忘れた頃に思い出して食卓にだすという方。

蕗を刈り取っているとおまけが付いてきました。バッチャンからの贈り物です。小松菜のような若菜を一山。一緒に湯通しして長持ちさせました。これはおひたしやみそ汁の具となるでしょう。

Monday, May 15, 2006

[勝間通信] バッチャンの作品

[農暦] 4月18日 [月齢] 17.5 居待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

庭先から声がかかりました。下の畑のバッチャンです。手に初物のキャベツを抱えていました。喜んでいただきます。惜しいことに先ほどスーパーで傷物キャベツを格安で購入したばかりでした。

アトリエの梅の木を見て、バッチャンが実の多さに驚いていました。昨年と一昨年、枝を落としたのが功を奏したようです。一方で、これだけの実がみな大きくなったら、今度は木が持たないともいわれました。アブラムシのつかないように手当をしなさいと諭されもしました。

Saturday, May 13, 2006

[勝間通信] 長靴もだらしなく

[農暦] 4月16日 [月齢] 15.4 十六夜月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 小雨

昨日の午後、隣の畑との境の雑草を刈り取りました。まだ若い稲や野菜の苗から虫を少しでも防ぐためです。こちら側に虫が付く何もないのですが、畑を生業とする方がお隣、手当をしなければなりません。それでも二週間ほど遅れての草刈です。草刈器を引き出します。

草刈器に混合油を満タンにすると、約1時間働いてくれます。たったの1時間、しかし、なまった体にはいささか厳しかったのです。この1時間で上がることにしました。だらしないですね。「晴耕雨読」は口先だけのことになりそうです。

縁側から上がって振り返ると、先ほど付き合ってくれた私の長靴が、やはりだらしない姿をしていました。ついついしんみりと眺めてしまいました。

Friday, May 12, 2006

[勝間通信] 夏の香り・オオダマ

[農暦] 4月15日 [月齢] 14.3 満月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 薄曇り

雨空か曇り空の続いたこの一週間、夜空の様子もわかりませんでした。気がつけば今日は満月です。

アトリエのある棚田の至る所にオオダマと呼ばれる真っ白な花が咲いています。隣のばっちゃんがこの時期、毎年咲かせています。出荷する様子もないので一度話を聞いたことがありました。ただただ綺麗だから、ということです。棚田の下にあるばっちゃんの家からはほとんど見ることはできません。畑の作業の際に目を楽しませてくれるものです。アトリエからは庭先に咲いているようなもの、うれしい光景になっています。

それにしてもばっちゃん、畑作業を楽しくするためだけに育てている、豊かな感性をお持ちですね。

Thursday, May 11, 2006

[勝間通信] 夏の香り・花菖蒲

[農暦] 4月14日 [月齢] 13.3 待宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇天

昨日紹介したのがジャーマンアイリス、これは西洋を代表する菖蒲、日本ではもちろん花菖蒲です。こどもの日に菖蒲の葉を風呂に入れて健康を願ったあの菖蒲ともちょっと違うらしい。私にはその違いがよくわかりませんが、アトリエの庭先には花菖蒲が咲き始めています。

五月晴れを期待して待っていた五月。しかしこのところ、そんな気候に巡り会っていません。寒冷前線や温暖前線が入れ替わり立ち替わり日本列島にやってきている。どうも昔と違う。気候の変動が目に見えて変わってきている。しかし農家はそんなことを口にして心配している余裕はありません。作物を作らなければいけないわけですから、与えられた条件の中で、最良の方法を探し続けるより他ないわけですから。川越の友人が語った話です。

Wednesday, May 10, 2006

[勝間通信] 夏の香り・ジャーマンアイリス

[農暦] 4月13日 [月齢] 12.3 十三夜月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

木々に劣らず花々も元気です。アトリエの入り際に咲く白のジャーマンアイリスです。六日撮影。

茶飲み友達の長野に住んでおいでの母方の伯父が亡くなられたと連絡がありました。九十歳を超えていらっしゃったそうです。満州で捕虜になった体験をお持ちとか。亡くなられる前、しきりに「日本に帰りたい、日本に帰りたい・・・」と口にしていたそうです。このような話を聞くのはとても痛いですね。

Tuesday, May 9, 2006

[勝間通信] 夏の香り-2

[農暦] 4月12日 [月齢] 11.5 宵月 [潮汐] 若潮 [勝間の天気] 曇り

栗林の風景、緑いっぱいです。風景にとけ込んでいきたい、素直な感情です。できれば最高なのですが、人間はそんな状態になれそうにありません。残念です。でも、少しでも近づければと願っています。五月、植物は活き活きとしてみえます。ということは木々は幸せなんでしょうね。

Sunday, May 7, 2006

[勝間通信] 夏の香り

[農暦] 4月10日 [月齢] 9.21 宵月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 曇り

アトリエの縁側からの眺めです。近景も中景も遠景も緑で埋まりました。

夏の香りが漂よう今日この頃です。

Saturday, May 6, 2006

[勝間の猫] 領域侵犯

[農暦] 4月9日 [月齢] 8.37 九夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ・風強し

昨日は確か立夏だったはずです。夏の始まりです。

韓流ビデオの見過ぎでしょうか、この連休なぜか体がだるい、伸び始めた雑草を刈り取らなければいけないのですが・・・

我がアトリエの領域に部落の猫がしばしば侵犯しにやってきます。人面猫と我々が呼んでいるこの猫、子供の頃はすごくかわいらしく、額の毛がちょうどおかっぱ頭のようで人気を博していたものです。

時がたち、成長した人面猫、とはいえ、近辺ではまだまだぺーぺーです、アトリエの猫を威嚇するため、猫外れの大声で泣きわめきます。アトリエ猫はそんなことに動じることなく、じっとみらみつけます。人面猫はもしかしたら遊んでほしいのかもしれませんが、部落中に響き渡るほどの大声です、何とか説得してお帰りいただいています。これで四日目です。いつまで続くのでしょうか。

Sunday, April 30, 2006

[勝間通信] 茹でる

[農暦] 4月3日 [月齢] 2.51 三日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 晴れ

ゴールデンウィークが始まり、近くの県道には県外の車が多く見ることができます。そんな人たちを目当てにか、信号の手前では、竹の子おじさんが筍を並べて売り出しています。三本千円、相場でしょうか。

先週はジュンサン兄に、田舎猫さんに竹の子を送りました。筍ご飯も口にしました。と思っていたところ、隣のばっちゃんが姿形のいい筍が届きました。さっそく茹でます。これで4月は筍尽くしで閉めることになりました。

Saturday, April 29, 2006

[勝間通信] 蜘蛛

[農暦] 4月2日 [月齢] 1.57 二日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 小雨

庭先に張り巡らされた蜘蛛の巣、その数五面、建物沿いに端から歩き始めれば、何本もの蜘蛛の糸が体にまとわりついてきます。

蜘蛛の巣は軒先と庭の柿の木を結んでつくられています。糸は切っても切ってもしばらくするとまた元に戻っている、彼らも必死のようです。巣のど真ん中に居座っている一匹に近づいてデジカメに納めました。よく見ると、背中はドクロのような模様がついていました。おそろしいですね。

Thursday, April 27, 2006

[勝間通信] 絵手紙・鯉のぼり

[農暦] 3月30日 [月齢] 28.7 晦日月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 小雨

雨がちな今日この頃です。二十四節気によれば4月20日が”穀雨”、土に十分な水分を与えてくれていることになります。雨になれば私は縁側から外に出ることはなく、ただ外を眺めていると、下の畑でばっちゃんが土の手入れをしています。

昨日届いた絵手紙には鯉のぼりが描かれていました。子供の成長を願ってあげられる鯉のぼり、男の子と縁のなかった私です、ちょっといたずらして写真を撮りました。まもなく夏が始まります。

[勝間通信] Abduction

[農暦] 3月30日 [月齢] 28.7 晦日月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 小雨

小さなフィルムです。 http://safarimedia.net/

Wednesday, April 26, 2006

[勝間通信] 一瞬の田植え

[農暦] 3月29日 [月齢] 27.7 暁月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 薄曇り

平日の田植えです。いつもはこの近辺の農家、一家総出で週末の田植えに立ち会うのですが、天候の関係でしょうか、機械の順番待ちということになるのでしょうか、今年は今日が隣の田んぼの田植えとなりました。

大型の機械が入りますから、小さな棚田の田んぼなど、一瞬で作業を終えてしまいます。あれよあれよという間に若い苗が一面を覆っていました。

Sunday, April 23, 2006

[勝間通信] 代掻き・最後の仕上げ

[農暦] 3月26日 [月齢] 24.6 二十六夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 曇り

農暦3月末、旧暦から見ればまもなく夏を迎えるわけです。アトリエ周辺の風景を眺めていてもやはりそう感じます。一挙に芽吹く木々、騒がしい鳥たち、顔を見せ始めた雑草、モンシロチョウに蜂に蜘蛛の巣と、夏の主役たちがそろい始めています。

先日田植えの最後の準備が整いました。二回目の代掻き、今回は丁寧に行われています。田植えは今月末か月が変わってすぐか、どちらにしても昨年の刈り入れ以来土色だった地面が一挙に緑に変わります。今年は田んぼの中の小さな生き物をのぞいてみることにします。

Friday, April 21, 2006

[勝間通信] 田園の快楽・都会の憂鬱


[農暦] 3月24日 [月齢] 23.1 有明月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ

昼過ぎ突然の突風と落雷、一天俄にかき曇りというさまに。低気圧を伴った前線がまさに通り過ぎようとしていました。これから都会へでかけようとした矢先のこと、しかし天空の絵図は何ともいえず深みがあり、雲の刻一刻と変わる様に見とれてしまいました。

下の写真は今夕の都会の風景。建ち並ぶビルの狭間から雲の様をようやっと眺めることができます。そう、ようやっと。こうしてみると、都会の風景は変化に乏しい、昼と夜、車と人、私にはとても憂鬱な思いでした。

Tuesday, April 18, 2006

[勝間通信] 芽吹く雑木

[農暦] 3月21日 [月齢] 20.1 宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

部落沿いの県道を車で走ると、周りの雑木の色合いが違って見えます。新芽が芽吹いているのです。

アトリエの裏山、ここでも雑木は白っぽい緑色の斑点を被っているように見えます。開き始めた柔らかい葉を啄んでいる小鳥の姿も見え隠れしています。空気に味が加わり始める、そんな季節がやってきました。

Monday, April 17, 2006

[勝間通信] 梅の実

[農暦] 3月20日 [月齢] 19.2 更待月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

本日は快適な天気で、ほかほかとし、庭先にパソコンを持ち出し仕事をしておりました。生け垣にメジロが、若芽をついばみにやってきて、チチィチチィと鳴く姿も眺められます。長閑です。椎名町界隈とは大違いです。暗騒音が少ない分、小さな生き物の音も聞き分けられそうです。

庭先の梅の木の実が大きくなり始めました。今年は実の付きが良好。手入れをしているわけではなく、自然の成り行きに任せている梅の木です、毎年豊かに実が付くわけではありません。土間には年号の入った瓶がいくつか並んでおり、昨年のはとても小さい。梅の実の収穫が少なかったからです。今年は期待が持てそうです。

梅干し、梅エキス、梅酒、梅ジュースと収穫が多ければそれだけいろいろ作れます。梅干しは玄米を炊く際に、焼酎のお湯割りに一つ入れ込みます。梅エキスはお腹の具合が悪くなったときに顔をしかめながらなめます。夏の暑い日の農作業の後は梅ジュースといった按配です。

Sunday, April 16, 2006

[勝間通信] 椎名町界隈-3

[農暦] 3月19日 [月齢] 17.3 寝待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

西池袋マートの近くで風呂屋の煙突を見つけました。煙がたちのぼり、風に流されています。手書きの看板には、薪で焚く柔らかいお湯の銭湯と記されています。まもなく三時、風呂屋の始まりの時間です。銭湯の前にご婦人方が三人、手桶を抱えて一番湯を待っていました。

同行四人のうち三人がラグビー部員だったこともあり、試合の後に泥だらけな体で入った銭湯の話が自然とでてきました。界隈の、戦前を思わせる数少ない風景の一つかもしれません。

幼少の頃、東京三田に住んでいたときのことです。家に風呂があったにもかかわらず、銭湯にしばしば行ってます。一つの理由は友人と一緒に風呂屋に出かけること、夜の遊びの一つです。もう一つは、入浴料が子供十円、それを手に番台の目を盗んで入り込み、銭湯を出るとそこに待っているのが焼き芋屋、一本十円の焼き芋を口にしたかったので銭湯に行っていたのでしょう。

Saturday, April 15, 2006

[勝間通信] ばっちゃんの竹の子

[農暦] 3月18日 [月齢] 17.1 居待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

昼過ぎから棚田の向かいの竹林が賑やかになりました。子供たちの声が聞こえてきます。竹の子を掘り起こしているのでしょう。

夕方、穏やかだった気候は冷たい空気へと変わってきました。縁側のガラス戸を閉め切ります。しばらくするとばっちゃんの声がしました。でてみると、エプロンに竹の子を抱えています。「小さいのはそのままで食べられるよ」。というのでさっそく生で口にし、油揚げと鰹節と醤油味の総菜を、大きいのは茹でて水につけ冷蔵庫に保存します。明日は筍ご飯をつくることにしよう。

[勝間通信] 椎名町界隈-2

[農暦] 3月18日 [月齢] 16.2 居待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

椎名町界隈の続きです。界隈の印象は一口で言って「雑多」。戦災で焼けた地域だけに安普請の木賃アパートから、一部には戦前のもの、もしくは戦後手を入れた二戸一低層貸し屋(追記:komachi memo2で説明あり)も残されています。山手線沿線でも遅れて開発された池袋地区、高層高級マンションの不規則に並んでいるのが目につきます。

椎名町駅界隈で驚かされるのは商店街の多さ、長さ。荒川仲町通り商店街もそうでしたが、道路幅4メートル程度の両側にびっしりとお店が張り付いています。ここ椎名町サンロードでも総菜屋が目をひきました。コンビニはもしかしたら他の地区と比較して少ないかもしれません。まあ真夜中になれば商店街に残る照明はコンビニだけでしょうから、また目につくものも違ってくることでしょう。

椎名町駅からはじめに歩き始めた谷端川(やばたがわ)暗渠ぞいに昔のマーケットを見つけました。昔はどこの町にもあった市場です。十件前後の生鮮食品、総菜の専門店が一カ所に集まった町の中の小さなデパ地下です。今では僅かに一店舗、あとはガランとしていました。それにしては洒落たロゴです。「西池袋マート」ですか、いいですね。店の業種を変えれば今でも充分成り立ちそうな感じですが・・・

Friday, April 14, 2006

[勝間通信] 椎名町界隈

[農暦] 3月17日 [月齢] 15.7 立待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 薄曇り

かつて東京池袋郊外の椎名町界隈に芸術家と称される種族が住んでいたそうです。かつてとは戦前のこと。そしてかつてここに住まわれていたkomachiさんのお父上の記憶を確認する、小さな散策が昨日行われました。集まった面々はいつもの人たち。komachiさんのほかに、shinさん、t.hiroshiさん、それにわたくし。

今回の企画はいつもとちょっと趣が違います。企画されたkomachiさんの想いが込められています。以前、鎌倉の彼の事務所でお父上の絵を拝見したことがありました。暗く、激しく、力強い筆さばきだったと記憶しています。その原点となっただろうお父上の生きた”場所”をkomachiさんは確認したかったのだとおもいます。

ここには大学時代の大先輩が住まわれておいでです。ちょうどkomachiさんのお父上が移り住まわれたのと同じ頃からの住人です。shinさんの手配よろしく、わたしたちはこの画伯のアトリエを訪れ、当時のお話をお聞きすることができました。まもなく九十歳を迎えるというのに、顔色よろしく、会話も明晰。komachiさんにとってお父上を確認できるまたとない機会でありました。しかしこちらの意図に我関せず、画伯、ご自身の青春時代を悠々とお話しされておりました。

十分に会話を楽しんだ後、画伯は駅前商店街の中の、彼曰く美味しいラーメン屋という至極立派なお店に我々を連れていきました。画伯は飲めないにもかかわらず、お店の最上級の紹興酒を振る舞われ、我々をもてなしてくれたのです。

この一日をkomachiさんはどう記憶に残されたでしょうか。
追記 [komachi memo2]に記事が載っていました。

Tuesday, April 11, 2006

[勝間通信] 叩かれたモグラ

[農暦] 3月14日 [月齢] 12.7 小望月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

モグラがアトリエの庭先で大の字になって横たわっていました。結構大きい。全長25センチはあるでしょう。小さなとがった口先をもつ顔に太い胴体、地中で土をかきながら進む力強い前足、よく見ると愛嬌があります。

モグラが地表面に顔を現すのはすぐにわかります。そこの土が少しづつ盛り上がってくる、黒い土が中から吹き出してくる。猫は心得ていて、その場でじっと待っている。そして強い前足が見えかけたところを襲うのです。しかし食するわけでもなく、爪を立ててただ遊び相手にしているだけなのですが、イジメの対象にされているようです。

人様の遊びにモグラ叩きがあります。イジメの冴えたる対象がモグラです。なぜモグラか、おそらくその生態からくるものと思われます。人に害を与えない、研究の対象になっていない、経済的価値を持ち合わせていない、ようはいてもいなくても誰も気にしてくれない存在だというのです。しかし畑では役に立っています。地中に空洞をつくり、土に空気を混ぜてくれる。軟らかい土はミミズとともにモグラもいささかでも貢献している。

Monday, April 10, 2006

[勝間通信] 土手の蒲公英

[農暦] 3月13日 [月齢] 11.9 十三夜月 [潮汐] 若潮 [勝間の天気] 小雨

昨日は穏やかな一日でした。棚田の土手がタンポポで覆われています。記事にするためタンポポとキーを打ち変換すると”蒲公英”とでてきました。これでは読解能力のない私には読めません。そういえばどこかでこんな漢字を見たことがあります。そのときは人の名前かと思ったのではないでしょうか。

アモイの短い旅でひどく疲れ、帰国後は何かをする気力に乏しかったのです。周りでは土の手入れ田んぼの代掻きなどなど皆さん精力的に働いております。私は竹藪で竹の子を掘り起こしたぐらいしか働きがありません。旬の竹の子で筍ご飯を食し元気を取り戻どすことにします。[追記:いやーとても美味しかったのです]

Wednesday, April 5, 2006

[勝間通信] 絵手紙・これから

[農暦] 3月8日 [月齢] 6.71 宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 雨

雨です。強風が収まったと思ったら、しっかり雨が勝間に降っています。

いつも季節の花が届けられる絵手紙ですが、この方を含め、八人の高校同級生の集まりがありました。毎回メンバー順送りでテーマがだされ、それについて気軽な話し合いがもたれます。今回は「これから」、第二の人生に向けての課題です・・・

一言でくくると、「教育」「身辺整理」「仲間」「家族」「起業」「奉仕」「子供」そして「同化」。わたしは勝間に同化したい、そんな気持ちを話してきました。

Tuesday, April 4, 2006

[勝間通信] 田んぼの代掻き

[農暦] 3月7日 [月齢] 5.71 弓張月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

昨日と打って変わって今日は快晴、風もなく穏やか。陽差しを浴びるととても気持ちがいい。やはりこうでなくては気分が落ち着きません。

隣の田んぼでは代掻きが始まりました。昔は人や牛が整地板を縄にかけ、牽きながら田んぼの土を平らにしていましたが、今ではトラクターに板を取り付け均しています。小さな田んぼは一瞬で作業終了です。いよいよ田植えの準備が整いました。苗を植える前にもう一度代掻きをするようです。

Monday, April 3, 2006

[勝間通信] 旬な筍

[農暦] 3月6日 [月齢] 4.21 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

日曜日、大陸の旅にくたびれ昼寝をしていたところ、大きな声がかかりました。「いるかーい」。土間にアトリエ前の竹林の持ち主さんが立っていました。手にはなんと筍がありました。形は小さいものの、もう筍の季節がやってきたのかと驚かされたのです。

今日は一日天気がめまぐるしく変わりました。晴れから曇天、そして雨へ、夜になり星が見えています。ちょっと激しすぎる天候の変化にとまどっています。

Sunday, April 2, 2006

[勝間通信] 最新投稿

諸般の事情でblog[勝間通信]は下記へ移転いたしました。
こんごともご贔屓のほどよろしくお願いいたします。
移転先は・・・

勝間通信」 http://our-studio.blogspot.com/

なお、2006年以前の記事はそのままこちらに残ります。
  

[勝間通信] 勝間と廈門

[農暦] 3月5日 [月齢] 3.23 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

中国大陸の沿岸都市、アモイに5日間滞在して感じたのは、私の体や気持ちは勝間の土と水と空気と一体になってしまったのかもしれないということでした。これはこの先東京に移り住んだとしても同様な感覚を覚えるだろうと予想されます。不思議ですね。

アモイでの生活はとても疲れました。人と車と林立する高層建物。空いている土地を積極的に緑化しているといっても、やはり自然ではありません。見慣れない小鳥が多く目につき、鳴き声を車の音の間から聞き取ったとしても、やはり自然な感覚は得られませんでした。

勝間に戻って、庭に出ると追いかけるように猫たちもついてくる。雑木林から聞こえるウグイスの声、庭木の枝を右往左往するメジロたち。人の群れも車の姿もコンクリートの建物も見えない、そんな世界に長く過ごすと感覚が変わってしまうのでしょうか。とりあえず今はホッとしているというのが実情です。

Friday, March 31, 2006

[勝間通信] アモイ通信事情

[農暦] 3月3日 [月齢] 1.68 三日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 晴れ

昨夜、中国大陸の廈門(アモイ、この感じは当て字です)というところから戻ってきました。台湾と台湾海峡を挟んだ向かいにある都市です。気候も風土も言葉も台湾と似ていると聞いて来ました。確かにそのようです。歴史的には、台湾をオランダから解放したといわれる鄭成功が拠点とした場所であり、南京条約で開港、疎開地がつくられた町でもあります。

あるプロジェクトに参加しないかと誘われいってきました。長旅はさすがに疲れます、この年では。今日はのんびり滞在の記録を整理することにします。あちらからblogを投稿しようと試みたのですが、何らかの理由で外国のネットにアクセスできませんでした。おかげで勝間に戻ってメールを開いてみると、354もの未読が残されている始末です。

ホテルに滞在しました。インターネットに接続したい旨をフロントに伝えると全て準備できているとのことです。台湾と同様、かなりのホテルで簡単にLANが使えます。早速blog投稿記事を書き、メールをチェックし、返事を書いてキングサイズのダブルベットに入ったところまではよかった。問題は翌日からのことです。ウェブを閲覧するのは何の問題もありません。メールを受けるのも問題ありません。しかしblogを投稿したサイトにアクセスができません。メールのアクセスもできません。未読メール数は読めますが、ダウンロードしてくれません。

このblogは合衆国のサイト、メールの送受信も合衆国の会社。考えてしまいました。関係あるのだろうかと。skypeというネット電話が中国で制限されているという話はくる前に話題になっていました。そんな記憶が不安をもたらしたのです。ちょっと怖い、これから廈門に長期滞在となったときのことです。単にネットが混雑していただけのことであってほしいのです。

Saturday, March 25, 2006

[勝間通信] 師弟対話

[農暦] 2月26日 [月齢] 24.6 二十六夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ

ある春の日ー
風に揺れる枝を見て弟子が尋ねた
「師匠」
「動いているのは枝ですか?風ですか?」
弟子の指さす方も見ずに師匠は笑って言った
「動いているのは枝でもなければ風でもない」
「おまえの心だ」

ある秋の夜ー
夢から覚めた弟子が泣いていた
その姿を見た師匠が不思議に思って聞いた
「怖ろしい夢か?」
「いいえ」
「悲しい夢か?」
「いいえ」
「甘い夢でした」
「なぜ泣いている」
弟子は涙を拭きながら低い声で言った
「その夢は叶わないからです」

韓国映画「甘い人生」の最初と最後のモノローグからです。映画を暗示させているのですが、なんかいい会話だと思って収録しました。
さて、明日からしばらく中国にでかけてきます。あちらの通信事情が許せば記事をお送りしたいと思います。ではでは・・・

[勝間の猫] めまい

[農暦] 2月26日 [月齢] 24.6 二十六夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ

縁側で午睡中の我が家の猫です。幸せそのものという感じで眠っています。

一番上の猫は雌猫。このところ男猫がしつっこくつきまとってきます。部落の猫一家のうちの一匹らしい。雌猫は一晩消えていたので二人には何かあったのでしょう。それ以降、毎日毎晩家の周りで奇声を上げては、我が家の雌猫を誘っています。困ったことに、ときには家の中にまで入り込んでくるのです。目の前を見慣れぬ姿がザザッといききするのです。

下の臆病者の猫が野ねずみを持ち込みました。首元が食いちぎられています。狩り自慢をするのはいいのですが、床に血の跡を残したり、内蔵をばらまいたりと困りものなのです。

まあその程度で日常が過ぎていくのも長閑といえば長閑なのでしょうが・・・

Friday, March 24, 2006

[勝間通信] ヒキガエル


[農暦] 2月25日 [月齢] 24.1 有明月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ

田んぼの土が起こされました。いよいよ今年の稲作の準備の始まりです。このところの雨で田んぼに水が溜まっています。夜中は蛙の合戦、ヒキガエルが鳴きわめいています。

畦でヒキガエルに出会いました。これから交尾を始めようかという体勢でしたが、気にせずにデジカメを向けます。びくともしません。堂々としたものです。

長靴で田んぼに足を踏み入れると、ヒキガエルの卵が長々と横たわっていました。今まで姿を現さなかった多くの生き物を目にするこの頃です。一つのサイクルをもって生活しているのがわかります。そう考えると、現代の人間は強欲ですね、四六時中動き回っているのですから。


Thursday, March 23, 2006

[勝間通信] HITO・AREKORE展

[農暦] 2月24日 [月齢] 22.7 有明月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 小雨

大学同期の青木シンさんの個展にでかけてきました。”ひと・あれこれ展”と題しているように、いろいろなスタイルでいろいろなひとのプロフィールが描かれていました。

同行したkomachiさんには透明感のある作品と映ったようです。年とともに、内面に溜まった臭気みたいなものが出ていないのがすばらしいということでしょうか。たしかに爽やかです。いいですね。私も見習わねば・・・

会場を閉めて集まった五人の仲間と会食。語りましたね、この日の六人は。シンさんのインドでであった日本人デジタル・モンクと英国の宗教学者との宗教談義の話に始まり、komachiさんのグローバルって?、akiさんのblog万歳!と、みな饒舌でした。この会話に圧倒されたのか、酒のせいか、雨と寒さなのか、帰りの電車ではめまいがして立っていられないほどでした。

Tuesday, March 21, 2006

[勝間通信] やっぱり映画は面白い!

[農暦] 2月22日 [月齢] 20.7 宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 快晴

今日はとりとめのない話を・・・。

先日、韓流会食っていうことしてきました。韓国映画やドラマの好きな仲間たちと会食です。私は教わる立場でしたが、いまやハマっています。

八十年代に東アジアの台湾・韓国でヌーベルバーグといわれた流れがありました。それがいまでは韓国が充実したフィルムを提供しています。たとえばフィルム・ノアール、やくざものの質も高く、一時期の香港暗黒映画をしのいでいますし、表現も洗練されています。

「甘い人生」という、不条理な仕打ちにあう男の映画。日本でも女性に圧倒的な人気の男優、イ・ビョンホンが陶酔して演じている映画。たしかに押さえた表現がいい。しかしもっともすばらしかったのは、最後5分間、本編とは脈絡のない映像でした。都会の夜景が映る窓ガラスに向かってシャドーボクシングをしているだけなのですが、本編の隙のない緊張感ある表情から離れた無心な演技がとても印象的でした。

この5分間だけでこの映画を評価してしまう、結構映画ってそんなところがあると思います。全体がハチャメチャでも、どこかの一シーンで感動してしまえばそれでよし、それで全てってこともあります。ただ映画が好きなだけなのでしょうが・・・

Monday, March 20, 2006

[勝間通信] 土手は緑

[農暦] 2月21日 [月齢] 20.1 宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 強風・快晴

快晴です。そして冷たい強風。そんななか、勝間は急激に色づいています。ボケが花開き、アジサイが葉を広げ、生け垣も芽を吹いています。土手は緑色です。

昨日は変わりやすい天候の合間を縫ってアンデス芋の植え付け。”ジャガイモは彼岸まで”の教えに何とか間に合ったことになります。

庭先の柿の木にモズの姿がありました。じっくり観察です。姿がとてもきれいでした。シジュウカラ(漢字で四十雀と書くんですね)の青灰系の色合いも美しいですが、モズの橙系も美しい。鳥は見飽きません。時間がすぐにたってしまいます。

Thursday, March 16, 2006

[勝間通信] 猫の目天気

[農暦] 2月17日 [月齢] 16.2 立待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇天

このところ猫の目のように天気が変わります。一日の中でも快晴から曇天に、そしてまた日が射してくるなど変化が激しい。春先独特の天候です。田んぼも畑もその合間を縫って手入れをしている様子を見ることができます。こちらは枯れ草を燃やしたいのですが、こう風が強いと火を入れることができません。できるときにしておかないからなのですが・・・

[ブリキ猫の blogspot ]というカテゴリーを加えました。ウェッブサーフしていて目についた記事を一覧にし、簡単にコメントしたものです。手数がかからず、ボタンをポチポチと二回押すだけでリンクができるのでつくってみました。サイドバーにあります。

Wednesday, March 15, 2006

[勝間通信] 消えた友人の追憶

[農暦] 2月16日 [月齢] 15.1 十六夜月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 快晴

一枚のはがきが届きました。大学時代の友人、アオキシンさんから個展の案内状です。彼が大学時代に人形劇部を立ち上げ、斬新なアイデアで見せてくれたビートルズの人形劇を、わたしは今でも思い浮かべることができます。今回の個展はタブローなのですが、多才な彼は本の装丁にも意欲的でした。

二週間ほど前に彼からメールが届きました。”こんなこともしているよ”と記され、添付されたファイルは響リュウさんとおっしゃる戯曲家の作品をまとめた本の表紙でした。十年前に出版され、絶版になっていたのを復刻されたと思われます。ここに使われている、彼自身がシャッターをおしたモノクロ写真、写っているのは消えた我々の仲間の後ろ姿でした。

写真の主、愛称ピンさん、こよなく酒を愛し、二日酔いのまま仕事を難なくこなしていました。建築のデザイナーだった彼が引く鉛筆の線をまねできる人はいませんでした。彼もまた多才な能力の持ち主でした。その彼が十年ほど前、明け方の湯河原海岸から姿を消しました。未だ消息はありません。友人たちが集まって何度かの捜索も湯河原で行われました。そのさい、東アジア世紀末研究会などという、勝手に旅をしようという私の北朝鮮の旅に同行していたピンさんです、彼の弟さんから、研究会の政治性を問われ、彼はもしや北朝鮮かと我々も真剣に考えたこともありました。

彼が我々の前から姿を消した数年前のことだったと思います。東アジア世紀末研究会の仲間たちと江ノ島にでかけました。そこでのピンさんは、島の参道沿いの店を覗いては徳利を一本空け、次の店へという按排でした。そして参道から島の裏の海岸の岩場へ。表紙の写真はここで撮影されたものです。夕刻の、少し波立った岩場で、彼は我々を背に海を眺めていました。アオキシンさんが捕らえた瞬間でした。

シンさんが、この本の表紙にこの写真を使ったワケはまだお聞きしていません。かなり古い写真にもかかわらず、この一枚を引っ張り出してきたのはなぜだったのでしょう。知りたいと思います。

[勝間通信] おもしろスコップ

[農暦] 2月16日 [月齢] 14.6 満月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 快晴

・夜空に満月が輝いています。この二日間、気温が下がり空気も澄んでいます。雑木も竹藪も田んぼもくっきりと眺められます。

・下の棚田が今年から畑を再開しました。ここしばらく休耕地でした。地中の根っこ類を辛抱強く探り出しています。顔を出して話をしていると、使っているスコップが至極珍しいのに気がつきました。掘り起こす面に穴が開いています。まるで”オペラ座の怪人”のマスクのようです。

話をうかがってみると、水気を吸った土を掘り起こすのに使うとのこと。湿気た土がスコップにへばりつくのを防ぐために穴が開いている。土木ではしばしば用いるそうです。この畑、元々は水田だったので、土地の半分は湿っている、根腐れがしやすい。水はけがよくなるよう溝を掘っていました。いろいろな道具があるものですね。

・勝間ではシジュウカラが賑やかでした。ヒヨドリは庭先で何かを探していました。ウグイスも鳴き方が日々上手になっています。寒かったせいでしょうか、鳥の姿の少ない一日でした。