Tuesday, November 29, 2005

[農暦10月28日] 家にまつわる三つの点景

・年の瀬を迎え、郵便受けに喪中はがきを目にすることが多くなりました。その中に一枚、台湾の取材に同行したことのある方からのものです。お父上が六十歳で永眠されたと記されてあります。若くしてお亡くなりになったことを知りました。

早速お悔やみのメールをさし上げたところ、「・・・父は自然が大好きな人で、退職したら富士山の見える山荘で農業しながら過ごしたいとしきりに言っていて、それを私が設計する、という目標がありました・・・」との返信です。ご冥福をお祈りします。

・海辺のおんぼろな家を建て替えたい、余命四ヶ月と知った建築モデル制作者が願った映画を、昨夜のテレビで放映していました。「海辺の家」、原題は「Life as a House」。バラバラになった夫婦と子供が、家を建て替てかえる過程(セルフビルドです)で最後に一つになる、とても涙のお話です。昼間届いた喪中はがきを思い出してしまいました(映画の話とは内容は全く違います)。

[写真は、蓑虫が廊下のガラス戸を、巣を背負いながら冬を越す場所を探している姿です] 

Monday, November 28, 2005

[農暦10月27日] 絵手紙・秋まっ盛り

[農暦] 10月27日 [月齢] 26.3 有明月 [潮汐] 若潮 [勝間の天気] 晴れ

季節の絵手紙、今回は丸い和紙に描かれていました。「秋まっ盛り」という言葉、勝間では少々季節はずれになってしまいました。日が落ちるとともに、早々と闇が訪れ、急激に気温も下がります。「冬の足音」なんて感じでしょうか。

しかし、制作意欲盛んで、うらやましい限りです。わたくしめは足腰を鍛えて、畑の土を掘り起こさなければなりません。

Sunday, November 27, 2005

[農暦10月26日] 簡素で上質に生きる-ターシャ・テューダーおばあさん

[農暦] 10月26日 [月齢] 25.1 二十六夜月 [潮汐] 長潮 [勝間の天気] 晴れ

合衆国、バーモントの森の中のターシャおばあさんの生き様、NHK土曜特集でみせたターシャおばあさんの姿。近道を探さない生活。

自らが作り出した四季の庭、四季の草花、実りの果物、コーギー犬と鶏と喜びのなかの生活、簡素で上質に生きる九十歳の姿。爽やかな一時間でした。

「ターシャ・テューダーの世界」 ブックグローブ社

[追記] 大切なことを書き忘れました。このことのために日記を書こうとしたのです。番組の後半に、「・・・わたしももう年です、(地球から借りた大地を使って)わたしの世界をつくってきましたが、そろそろ元(自然)に戻してあげたいと考えています・・・」。多くを地球から借りて生きてきた私たちです。考えさせられた一言でした。

Saturday, November 26, 2005

[農暦10月25日] 落ち葉焚き

[農暦] 10月25日 [月齢] 24.4 有明月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 快晴

積み込んでいた雑草と落ち葉、このところの陽射しでよく乾燥しました。火を入れて燃やします。白い煙が気持ちいい。煙が炊き出す香りが鼻にやさしい。風のない昼下がり、落ち葉焚きには最適です。これでとりあえず家の周りの冬支度は終わりです。後は畑を残すのみとなりました。  

Friday, November 25, 2005

[農暦10月24日] 超能力の秘密

テレビ番組で、ある大学がおこなった障害者の持つ特殊能力について報告していました。それによると、視覚障害者は、健常者と比較して、会話を録音した速度を3倍程度の早さにあげても聞き取ることができるというのです。
実験に参加した女性曰く、「普通の人たちが(三倍の早さの会話を)理解できないことが不思議です」。大学教授曰く、「視覚を失っている分、それを聴覚が補おうとした結果ではないか」・・・ [仮面ライダーは超能力者、なぜなら変身できるのですから]

テレビを見ていても、確かに健常なわたし、聞き取れません。よほど緊張して理解しようとしなければ、いやそれでも厳しいかもしれません。この実験に参加した視覚障害者は十人といっていました。どのようにして選ばれたのかについては言い及んでいませんが、確実に超能力の持ち主たちです。

密教の瞑想法を会得したといわれている空海は、多くの教典すべてを暗記していたといわれています。『求聞持聡明法』という瞑想法を会得、教典の頁をめくり続けるだけで内容を記憶できたそうです。本当かどうか分かりませんが、教典の暗記の話は確からしい。

五感は鍛えれば拡張できる、素直に同意します。視覚障害者が超能力を会得したのも、関係あるのではないでしょうか。わたしなぞはもう十分遅いですが、若ければ若いほど可能性は広がるはずです。瞑想してみましょう。

Thursday, November 24, 2005

[農暦10月23日] 人命に関わる仕事

[農暦] 10月23日 [月齢] 22.4 弓張月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 快晴

小春日和、アトリエの周りの枯草を刈り取ります。冬支度。畑の土を豊かにしなければなりません。堆肥の準備です。枯れ葉、近くの養鶏場から分けていただく鶏糞、無人精米所に残る米ぬか、そして市販の油かすを使います。来年の豊作を願って。

夕方、猫の散歩に付き合います。小径の紅葉は今が盛りでした。

・同じ仕事柄、問題となっている構造計算書の偽造、他人事といえません。わたし自身、人命に関わる仕事をしていること、肝に銘じなければなりません。

Wednesday, November 23, 2005

[今日のNOKIA] 256MB DV MMC Card

Nokiaのカメラ携帯、N90を購入時、256MBのDual-Voltage MMC Cardも入手しました。単体では二千円超、しかしそれだけ発送してもらえば、郵送料は同額と思った方がいい。同時購入の理由です。N90に差し込んで 使っていますが、意外なときに意外な落とし穴がありました・・・

以前にも、702NK発売時に128MBのMMCカードを認識してくれないという報告がありましたが、同じことが起きています。ソフトウェアをMMCカードにおいている分には何も起こりません。問題は、カメラ携帯を活用しようとする際に起きました。画質をもっとも高い1600X1200ピクセル(Nokiaではプリントモードと呼んでいます)で撮影をすると、時としてフリーズします。しかし800X600モードでは問題は起こりませんし、同封の64MBでプリントモードで撮影しても問題が起こらないことを確認しています。

現象として、シャッターを切った後もオートフォーカス・マークが消えません。または消えるまでに時間がかかる。そのような状態では、シャッター音の後にシャッターが切れているようです。これではシャッター・チャンスを逃してしまいます。

これを解消させようと、カードを一度抜いてみたり、携帯本体のオン・オフを繰り返しても解決されない場合がありました。一寸心配ですね。

64MBと256MBのカードは、写真で見るように接点の数が違います。この違いが何によるのかはわたしには分かりません。今ではMMCカード自体はNOKIA専用といってもいいかもしれません。そんなこともあって、NOKIAは新しいモデルで何かを仕込もうとしているのでしょうか、接点の違いに期待するほかありません。

しかし、容量が変ると使える機種と使えない機種があるというのはいただけませんね。


[農暦10月22日] 勝間のタヌキ猫

[農暦] 10月22日 [月齢] 20.6 宵月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 快晴

「ねこのきもち」という雑誌が最近発刊されています。今までのペット雑誌の、「かわゆーいのだ!」満載とは一寸趣が違う。猫といかにコンタクトを取るかというのが狙い。同じ言語体系を持たない人間と猫、食事がすすまない、病気じゃないか、ホンとはわたしがじゃまなのではなどなど、人様はいたく心配するのですが、では猫にとっての本音は?など切り口が面白い。

アトリエの猫どもはわたしにはかわいいし、添い寝してくれたりすると勝手に喜んでいるし、おなかがすかないと寄りつきもしない等々、彼らは勝手気ままなのです。一応は距離を置いている。それでも仕草がいたく魅力的で、写真を撮るのに追い回したりもします。しかし、所詮言語体系は違うわけで、最後はボディーランゲッジに行き着いてしまいます。

Monday, November 21, 2005

[農暦10月20日] 暖房費節約

[農暦] 10月20日 [月齢] 19.1 更待月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 快晴

急激に気候が変化、気温の低下が著しい。朝方には、室内といえど五度以下を指すこともあります。日本の気候風土で、冬場をいかに燃費を節約して過ごしていくか、古い民家はあまり考慮されていません。アトリエとして移ってきた際にも対応しませんでした。

おかげで室内といえども寒いのです。そこで簡単な道具でしのぐことにしています。作業場のテーブルは椅子式コタツ、熱源は灯油、灯油ストーブからフレキシブルパイプで温風をコタツの中に引き込みます。設定温度が16度、室温6度でも十分暖まれます。室内は控えめに、足元は暖かく。この方式、このあたりで採用されている節約方法です。これ、見かけはあまりよくありませんがKatsumaStyleです。 

[農暦10月21日] 染め付け絵師の女

先日購入したDVD、孫周(sun1 zhou1)という監督の中国映画「周漁的火車」(zhou1 yu2 de5 huo3 che1)、日本では「たまゆらの女」に、中国の風景はこんなに綺麗だったろうかと驚かされました。同時に主人公のコン・リー(gong1 li4)演じる陶器の染め付け絵師の女性の生き様は、蘇州での出来事を思い出させるものでした・・・
三年前、わたしは日本と蘇州の間を行き来していました。仕事のためです。高級別荘地を旧市街の一角に計画しようというものです。

初めて訪れたときのことです。投資家のお一人から、私たち計画者はお酒をごちそうしていただきました。「蘇荷天地」という、ゆったりとした空間を持った、蘇州の伝統的意匠をモダナイズしたすばらしいクラブです。ここでわれわれはお店の女性たちと話をし、歌を謳い、お酒を飲んでいました。中国ではみられない行き届いたサービス(いい意味での接客ですのでお間違えなく)を受けていました。

わたしの相手をしてくれた女性、がっしりとした体格、落ち着いた物腰、黒の意匠がよく似合う。話の仕方も歌の相手もできる。なかなか魅力的です。年齢は三十代半ばぐらいでしょうか。出身地を聞きます。景徳鎮、陶器の町です。店に来る前の仕事を聞きます。染め付け絵師。それでは何か絵を描いてくれないかと頼みます。彼女、コースターを手にボールペンでさらさらと描きました。壺絵などに出てくる女性の顔が描かれていました。見事でした。筆をボールペンに持ち替えても、しっかりした線を描くことができます。彼女の話は客相手のそら言ではありませんでした。父親も絵付け師として、その教育を受けてきたのだといいます。

なぜ景徳鎮から出てきたのか、簡単に想像できます。中国は国営企業の民営化を早々と始めていました。輸出産業として作り続けていた陶磁器の景徳鎮でも同様です。そのあおりを受けた一家、働き場を失った結果の蘇州生活。おそらく結婚もし、子供もいることでしょう。あの落ち着き方でわかります。

クラブの一室はにぎやかに時間を迎えました。「差不多ba(口+巴)!」(そろそろでしょう!)という一声で、一同落ち着きを取り戻します。招待していただいた方は、店の女性全員にチップを渡し始めました。そのときです。景徳鎮の女性きつい声が狭い部屋に響きわたりました。

「冗談じゃないわ!私たちのチップは○○○元何かでは少ないわ!こんな席になんかいられない!さあ××(別の女性の名前)、いきましょういきましょう!」

あっけにとられている我々の目の前から、彼女は悠々とでていってしまいました。
「おーおー、気の強い女だ」とか「すごいね」なぞとわたしと友人が話していると、投資家の人が大声を上げます。

「あの女の名前はなんという!総経理を呼んでこい!」

と、すごい剣幕です。そうですメンツが立ちません。それに女性は失礼です。いくらチップで生計を立てているとはいっても、チップは客の気持ちです。それを大声で罵倒するようでは仕事は勤まりません。しばらくして総経理がとんできました。ことの成り行きを一通り説明すると、総経理がマネージャーに女性を呼びにいかせます。

彼女、やってきました。やってきたのはいいのですが、わたしに謝ります。これも筋違いです。「わたしじゃない、あの方に謝りなさい」。彼女、一通り頭を下げ、一言二言口にして部屋を後にします。総経理「大変ご迷惑をおかけしました。彼女はすぐさま辞めさせます」。

後日訪れた際、彼女はすでにこの店にはいませんでした。いくらわたしには魅力的な女性に映ったとはいえ、中国全土を覆う「拝金主義」は、人間関係すらずたずたにしてしまうのでしょうか。

仕事の方はどうなったかといいますと、あまりの一等地での計画だったため、開発許可を得るのに国の審査が必要になるなど、条件は厳しくなるばかり、結局投資家たちはこの計画を中断してしまいました。 

Saturday, November 19, 2005

[農暦10月19日] やっぱり「大菩薩峠」

[農暦] 10月19日 [月齢] 16.6 居待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 快晴
芝愛宕山の麓の住人、「ふたまたくん」(久世光彦氏の著作にしばしば登城するのは彼です)から「大菩薩峠」と大逆事件との関係を聞いて以来、このことを気にしながら本を読んでいました。

読み終わるまで、人の解説は読むまいと思っていたのですが、歴史上の事件なだけに、ついついウェッブ検索をかけてしまいます。一通り目を通しますが、毒にも薬にもなりそうにありません。ただ一つ引っかかったのが<松岡正剛の読書術ー中里介山「大菩薩峠」>、これはまずかった・・・
何がまずかったといって、話の展開を種明かししていること。筋がありそうで全くない話ですが、彼なりの解説が的を得ているので、全体が見えてしまう。彼なりの全体とはいえ、時代背景も含めて述べているのでやはりまずかった。
ではわたしの勝手な引用を羅列してみますと・・・

------松岡正剛の読書術ー中里介山「大菩薩峠」から

・ 机龍之助のモデルは北一輝だという説がある。机龍之助の剣をラスコーリニコフの斧に、その性格をスタヴローギンに譬えた例もある。
 中里介山に、北一輝が二・二六事件の首領として代々木原で処刑された直後に詠んだ「北一輝の判決を聞く」という詩があった。どうも浅からぬ同情を寄せている。詳しいことはわかっていないようだが、二人には並々ならぬ交流もあったとも聞いている。

・ (本の大筋を述べた後)ざっとこういうことなのだが、さて、ぼくが『大菩薩峠』をなぜ読み始めたかは、そのきっかけをすっかり忘れていた。
 おそらくはそのころ、半村良の『妖星伝』で火がついた伝奇ロマン読み耽りが、自分のなかでも下火になってきて、もっと痛快なものはないか、もっと興奮覚めやらぬものはないかと白井喬二の『新撰組』や国枝史郎の『神州纐纈城』を読んで、やはりこれは中里介山だと一念発起したのだったとおもう。
 一頁読んで、たちまち虜になった。これは少年時代は別として、大人になってからはアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』以来のこと、のちには滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』まではなかったことだった。

・ そう思ってこの文章を閉じようとしていたら、そういえば鹿野政直が『大正デモクラシーの底流』(NHKブックス)で、介山と『大菩薩峠』の意味を書いていたことを思い出した。
 しかもそこには、『大菩薩峠』がついに慶応3年のままに終わっていて、決して維新に入りこまなかったことにふれ、かくも大胆に維新の意義を否定したのは日本の歴史学には皆無であって、ひょっとしたら中里介山はそのような歴史観をもっていたのではないかというようなことを書いてあったはずである。

・ 中里介山が自由民権運動にも縁深い東京郊外の多摩の地に、社会主義青年として育ったこと、それにもかかわらず介山がずっと反近代主義に共感しつづけたこと、どうやら出発点はここにある。

・ 介山がキリスト教に惹かれ、それ以上に仏教に惹かれていったのは、このときである。かくて介山は「上求菩提下化衆生」という言葉を抱いて『大菩薩峠』を書きはじめることになる。

・ 介山が国家に包摂されない人間ばかりを好んで描いたことは明白である。それは介山が維新後半世紀をへた日本にそうとうに失望していたことをあらわしている。
 単なる失望ではなく、希望すべき階層や人物を見だしえなかったという失望であった。

・ それだけではなかった。ここで介山はいっさいの理想の現実化を捨てて、むしろ農本主義に戻ろうとする。第38巻「農奴」にはその転回が描かれる。また、『大菩薩峠』の途中でありながら『百姓弥之助の話』を書いて、百姓道を提起する。

・以上が、鹿野政直が『大正デモクラシーの底流』にのべた介山思想の概観に、ぼくが勝手な感想を交えたスケッチである。

------松岡正剛の読書術ー中里介山「大菩薩峠」から
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0688.html

ここから拾ったキーワードには

・明治維新の意義を否定
・反近代主義に共感
・農本主義に戻ろう
・国家に包摂されない人間ばかりを好んで描く
・仏教に惹かれる
などなど、わたし好みの言葉が並んでいました。

一昔前なら絶対に目を向けることのなかっただろう「大菩薩峠」、時代が読めといっているのでしょう。

Friday, November 18, 2005

[農暦10月17日] 炭を焼きたい・・・

[農暦] 10月17日 [月齢] 15.6 立待月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

小学校時代の友人から連絡が。炭を焼きたいといいます。彼、武蔵野で代々の農家です。いまは川越でポインセチアの栽培を手広くしています。NHKの園芸教室などで講師をしたこともあります。

川越の平坦な広大な畑地の中、観賞用にと孟宗竹を植えたそうです。しかし竹は元気です。どんどん領地を拡大中とのこと。切り倒して燃やしてしまうのも興がない、どうせなら竹炭にしてしまえ、ということでわたしを思い出しました。彼とわたし、かつて勝間の炭焼き人を訪れたことがありました。

炭焼きはその燃料の確保が大変、彼、燃料となる薪にもととなる雑木林を持っていたかな?

[写真:燃えるものなら何でも炭にできるそうです。見事に焼けた木の実と松ぼっくりの炭]

Thursday, November 17, 2005

[農暦10月16日] 晴れ、そして晴れ

 [農暦] 10月16日 [月齢] 14.6 十六夜月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 晴れ

夕刻、晴れ、夕日に竹林と雑木林が紅い。
日没、晴れ、雲の消えていく西の空。
夜、晴れ、満月に辺り一帯を見渡せる。
一日晴れ、寒さ厳しい、初冬の勝間の風景。 

Wednesday, November 16, 2005

[農暦10月15日] Nokia N90の表現力

[農暦] 10月15日 [月齢] 13.6 満月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

NokiaのN90というカメラ携帯を手に入れてほぼひと月が経ちます。このblogの写真に幅が出てきたなと感じられたならば、それはN90によるところが大きい。口うるさい仲間からも一定の評価をいただき(バキッ)、一寸紹介などしてみることにします・・・

このblogの写真のほとんどは、702NKという携帯電話のデジタルカメラで撮影してきました。どうしても表現できないものはKonicaMinoltaのDimageX31というお手頃デジカメを使っていました。ただDimageX31、オートフォーカスが苦手です。近場の小さな被写体に焦点を合わせるシーンでは小さな被写体にフォーカスがあってくれませんでした。

N90という携帯電話、Camera Phoneと名乗っています。画素数は2MBと最近の日本の携帯ではではごくごく普通、レンズはCarlZeissのTessar 2.9/5.5 Autofocus、レンズが悪いはずはないだろうと、本体の質感の良さも手伝って購入してしまいました。

携帯電話としてみれば破格、同等性能のデジカメとしてみれば高価、スマートフォンならばそこそこ、日本語でメールができない携帯と考えれば無駄遣い。しかし嗜好品は使ってみて善し悪しが分かるもの、この携帯のデジカメ部分を普及型のデジカメと比較してみると・・・

・マクロが強い 
・レンズがソフト 輪郭にエッジがたたない
・焦点深度が浅い 絵が柔らかく、適当にぼける
・優れたオートフォーカス フォーカスを合わせやすい
・レンズが明るい 夜景に強い

もちろんすべて完璧なんてことはありません、欠点を挙げると・・・
・グリップがしっくりこない 本体が薄い分、握りにくい
・シャッターボタンを押しにくい ボタンが小さすぎる
・20倍デジタルズームは使えない 画素数が2MPでは記録できるという程度

そんなカメラ携帯の標準的な映像をちょっと・・・
(原画はサイズ1600X1200、それを640X480にリサイズ、ファイルも100K程度に落としています。元は500kから1MBにもなります。)
(撮影モードは自動で撮影しています。手動でもいろいろな設定ができますし、設定も撮影画面から簡単にできます。)


・マクロは強い! 被写体約5センチまで近づけます。
・レンズがソフト
焦点は猫の顔に、脇のドライフラワーはわずかですがぼけています。猫の輪郭の毛は潰れていません。輪郭を立てていないのがいいですね。
・ソフトフォーカス
背景は適当にぼけています。偶然写りこんだ蜘蛛の糸まで表現されています。
・夜景に強い
撮ってから気がついたのですが、色がよく乗っている、照明の違いもそのまま表現されています。
・苦手なのは遠景
 特に樹木の葉など細かい被写体が寄り集まる場面では、解像度の低さがそのまま出てしまいます。
・スキャナーも顔負け 
 新聞の挿絵から、文字は一般の記事より小さい、しかし鮮明で解読が十分可能です。
・ビデオもそこそこ
MP4 format high-resolution (352 x 416 pixels)、15fram/sec。無修正のキャプチャー画面です。

個人的な印象としては、レンズが明るく、色ののりが濃いめ(Kodakっぽいか)、画像がソフト、ボケを撮りやすい、などなどわたし好みといえます。液晶画面もハイレゾで見やすく、とても操作し易い。これで日本語が扱えればいうことはありません。ノキアさん、何とかしてください。

Tuesday, November 15, 2005

[農暦10月14日] 雑木の紅葉+朝方の地震

[農暦] 10月14日 [月齢] 13.2 小望月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 薄曇り

例年になく今年は紅葉が見応えあります。

ここ数年、天候の加減でしょうか、葉が紅く染まる前に落ちてしまう、勝間の雑木はそんな具合でした。しかし今年は違う、日を追うごとに葉が色づき、日ごと裏山の雑木林を眺めるのが楽しみになりました。今が丁度いい加減でしょうか。明日は満月、昼も夜も楽しめるかもしれません。

[追記:朝方の地震ですが、アトリエは不思議な揺れ方をしました。田の字型の農家、南半分の障子と縁側のガラス戸が長い時間音を立てていましたが、寝室のある北側半分はなんら揺れを感じません。どんな波形を持った地震だったのでしょうか。] 

Monday, November 14, 2005

[農暦10月13日] 簾の交換

[農暦] 10月13日 [月齢] 12.2 十三夜月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

昨日は快晴、簾の交換をしました。先週半ば、ホームセンターに届いた、それを購入しておいたものです。

ホームセンターの話では、簾は今や通年で売れ筋だそうで、インテリア小物として売りに出されています。そのほとんどは中国製、縦横一間のサイズで五百円弱、これをアトリエでは年二回吊り替えています。吊り金具を工夫し、取り外しと取り付けはいたって簡単、枯れた茎の匂いがとても新鮮です。

年二回、一万円弱の出費になりますが、それでもプラスチック製品を使わないで済みます。ヨシズにしろ、アシにしろ、毎年生育しますから、土もいじめません。古い簾は焼いて畑にまきます。ゴミにもなりません。これもKatsuma Style。  

Sunday, November 13, 2005

[農暦10月12日] 里芋の収穫とフランス暴動

[農暦] 10月12日 [月齢] 11.3 宵月 [潮汐] 若潮 [勝間の天気] 晴れ
二つのタイトルになんの関連もありません。話題は二つ、取り上げます。

荒川仲町通り商店街の話題で盛り上がっていましたが、勝間はその間、冬がやってきていました。気候がおかしい、温暖化だ、などなど口にしていましたが、今度は突然の冬気分です。夜中の温度が十度を下回りました。突然です、穏やかな移ろいでないのがやはり心配です。

畑に出てみると、里芋の葉っぱが大きく成長しています。根元の芋もいい具合ではないか、ということで掘り起こしました。少々小振りでした。今晩は芋の煮っ転がしでしょうか。日本酒を添えなければ。

新聞ネタから。このところのフランス国内での暴動に関する記事について。さすがフランス、市民革命や文化革命、レジスタンス運動を体験してきている国は違う。足元のしっかりしていない合衆国とは大違いです・・・
二人のフランス人の記事。一人はドミニク・モイジ仏国際関係研究所上級顧問。「・・・国民投票で欧州連合憲法を拒否して以来、ただでさえ欧州での存在感が薄れていた。今回の暴動で、「問題を起こす国」というイメージが欧州を越えて世界にも広がった。国際的な力の均衡を考えても非常に困ったことだ。」(日経新聞11月11日)
これに対して、歴史学・社会人類学者のエマニュエル・トッド、フランス国立人口学研究所研究員の記事はすごい、この暴動はフランスの文化だと語っています。

要点を上げると、

「・・・これはただの若者の犯罪や非行ではない。大きな社会的反乱であり、歴史的な文脈で捉える必要がある・・・」

「仏社会の本流に入り込めずに不満を抱える層が力ずくで意志を実現しようとする。フランスのきわめて伝統的なやり方だ。一七九八年の大革命がそうだし、十九世紀中の革命、一九六八年五月革命とも共通点がある」

「・・・車を燃やすことで仏政府が新たな政治的決断を下すなら、(車を燃やすのも)政治的行為といえる。新しいフランス人として社会に同化していく一過程だ」

ーーかつて「人種のるつぼ」といわれた米国は人種間の融合のない「モザイク」といわれる。

「暴動が今後も続け葉フランスが米国のような人種ごとにコミュニティーをつくる社会になるおそれはある。しかし、北アフリカ系はフランスで人種や肌の色を理由に差別を受けているわけではない。フランスは人種間の結婚も多く、長期的には米国よりも「るつぼ」に近い社会を実現するだろう」(日経新聞11月12日)

すごいですね、脇から見ていると単なる人種間の貧富の差と人種差別かと思っていましたが、彼に語らせるとフランスのきわめて伝統的で、歴史的で、文化的だと言い切ってしまうのですから。ノー天気な米国型民主主義など蹴散らされそうです。おもわず映画「アルジェの戦い」、取り出してしまいました。

Friday, November 11, 2005

[農暦10月10日] 都会のゴミ回収所

[農暦] 10月10日 [月齢] 9.08 宵月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 曇り

先日の下町探訪で多くの話題が集まりました。大通りの歩道際、ゴミ回収に出された籐編みのバッグもその一つです。

人通りが途絶えかけた夜の大通り、三河島駅のガード下を鶯谷に向かって今日の主役三人が歩いていると、突然にshinさんが立ち止まり、積まれたゴミの山を指さしています。見た目にもまだ綺麗で使うに耐えられそうな籐編みのバッグでした・・・
何を思ったかshinさん、これはわたくしブリキ猫が持つのに相応しいと考えたのか、「おまえもってけ」です。わたしも気に入りました。手に提げて打ち上げのそば屋に持ち込みます。みなの目の前で開けてみます。気分は一寸後ろめたく、何かのぞきをしているかのようです。
表面は綺麗でしたが、なかはもっと綺麗で整然とものが入れられています。シングルCD。三十枚ほどのCDでした。古くは酒井法子や工藤静香、そしてV6・・・。持ち主は女性でしょう。内張の布はピンク、柄はミッキーマウス。年齢は?どんな生活をしていたの?ゴミにしたわけは?
時として思わぬ拾い物に出くわすゴミ回収所ですが、記憶の詰まったものが棄てられ、それを見てしまうと、一寸感じるものがあります。それでもわたしはこの籐バックを手に帰路につきました。その姿を見ていたshinさんとkomachiさん、わたしにぴったりだと言います。次回の会合にはこの姿で参加しろとも。JiJiブリキ猫はいったいどう見られているのか、参りますね。

Thursday, November 10, 2005

[農暦10月9日] 今様三丁目の夕日

 [農暦] 10月9日 [月齢] 7.6 九夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 薄曇り
場所は東京都荒川区荒川三丁目、冬の早めに陽射しが落ちた荒川仲町通り商店街、500メートルにも及ぶ下町界隈の、元気のいい小売店が並んだ路地様の町筋です。

小さなスーパー、商品の種類の多さ。一つ60円のコロッケ、店の奥でつくられている惣菜屋に並ぶ品々は、勝間周辺のお店より手頃な値段が付けられています。若い女性数人がハングルで品定めをしています・・・
komachiさんの、喘息と結膜炎と締め切りに追われて延期となっていた三ノ輪界隈の探訪、昨夜実現されました。懐かしい町の匂いと異国の入り交じった、不思議な体験でした。

[農暦10月9日] 都電荒川線

 [農暦] 10月9日 [月齢] 8.33 九夜月 [潮汐] 小潮 [勝間の天気] 晴れ

「三ノ輪界隈、荒川仲町通り商店街で飯を・・・」は、shinさんの立案でした。東京生まれの東京育ちとはいえ、わたしは芝、ずっと北の、それも山の下にある三ノ輪界隈なぞ知るよしもありませんでした。

shinさんの手紙には、日比谷線三ノ輪駅改札口集合とあります。地図で調べてみます。おっと、この駅のすぐ北には都電の駅がある、なんと懐かしい、これに乗ってアクセスしてみよう、きっと車窓から発見があるに違いない。komachiさんが同調してくれました。shinさんは用事で間に合いそうにありません・・・ [写真は、JR王子駅のガード下、早稲田からやってきた都電]

荒川線はJR王子駅で乗り継ぐことができます。散歩の始まりはここから始まりました。

西の早稲田と東の三ノ輪を一時間弱で運行している都電荒川線、東京で残された、ただ一つの路面電車です。幼少の頃、芝から杉並に移転、芝の友人をしばしば訪れた際に利用していたのも都電でした。渋谷からは何番の都電、目黒からは16番(忘れました)など、都電の全面に番号ボードを差し替える箇所があり、終点の渋谷や目黒でそれを取り替える風景は今でも記憶にあります。

王子駅から終点の三ノ輪駅までは25分ほど。全区間160円です。都電に取って代わった都バスと比較して安い、これなら都電の方がいい。

路面電車とはいえ、王子から三ノ輪までの区間は、低い柵や花壇で仕切られ、線路も普通の鉄道と同じ路盤より上がっています。トコトコ走り過ぎる脇で、職員がバラの苗を植えています。駅も小さい、電車も小さい、利用者はことのほかに多く、小さい車両はすぐに満員にまります。速度もそこそこ、急がされる雰囲気はありません。

至る所で車の信号に止められますし、人が都電の線路を横断するための、かわいらしい踏切もあります。杖を持ったご老人は、渡りきる前に踏切が降りてしまいました。下町の都電です、無事渡りきるまで手前で待ちます。このあたりではごく普通の風景のようです。

懐かしさもありましたが、これからの大都会の交通手段として復活してくれたらうれしいのですが。

Tuesday, November 8, 2005

[農暦10月7日] 「馬鹿な柚は十八年」

[農暦] 10月7日 [月齢] 6.24 弓張月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 快晴

柚はかわいそうです。昔は子供たちすらに「桃栗三年柿八年馬鹿な柚は十八年」といわれ、収穫の遅さをなじられていたのだそうです。しかし、一度実をつけ始めればもう柚の天下、この時期になくてはならない香りと味なのです。

昨年に続いて今年も豊作です。隣のばっちゃんの庭の柚が実をつけないとのこと、初めてです、本家本元の農家に作物を、柚を贈ったのは。いつもは頂きっぱなしだったのに。

[農暦10月7日] F1デザイナーの移籍

[農暦] 10月7日 [月齢] 6.52 弓張月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 快晴

レッドブル、“空力の奇才”A.ニューウェイ氏の獲得を発表というニュースが伝わりました。エイドリアン・ニューウェイという人、1994年のサンマリノ・グランプリで亡くなったアイルトン・セナが最後に乗った車の設計者でした。事故の瞬間、TV画面に映された、ニューウェイが顔を覆うシーン、印象的でした。

彼は、技術の固まりといわれるF1の合理性を超えるべく、仕事をしてきた人です。技術に裏付けされた、飽きのこない空間の設計に取り組んでいるわたしにとっても、尊敬できる技術者です。次の仕事場でのさらなる活躍を期待しております。

Monday, November 7, 2005

[農暦10月6日] "ダンスはうまく踊れない"

[農暦] 10月6日 [月齢] 5.37 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

昨夜未明、激しい雨でした。それも何度か。しかし予報通り、朝方は快晴です。布団を干しました。

布団が気持ちよいのか、猫も気持ちよさそうです。しかし所詮猫です。布団の上でダンスはうまく踊れません。ごろごろと回り転けるのが精一杯でした。石川セリの曲が浮かんでくる、いや単なる田園の情景です。

[追記] おっと、気がつけば今日が立冬とは!なんという気候なのでしょう。

Sunday, November 6, 2005

[農暦10月5日] 枯草の野焼き

[農暦] 10月5日 [月齢] 4.37 夕月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 小雨

七時過ぎの今は小雨、寒いのです、外も家の中も。天気予報は夕方から雨といっていました。そこで昼過ぎに先日刈り込んだ南斜面の雑草を野焼きです。

煙から葉っぱのいい匂いが。プラスティックの混じらない野焼きは懐かしく、目にしみる煙も変な刺激痛もありません。いいのです。

Friday, November 4, 2005

[農暦10月3日] 谷津のススキ

[農暦] 10月3日 [月齢] 2.23 三日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 晴れ

里山にススキ、穏やかで暖かな谷津の風景です。

アングルを選んでの撮影、最近の里山、ススキよりセイタカアワダチソウ、外来の雑草の方が多い。細やかな日本の里山には合わない、細やかさがない、でかい、太い、花の黄色に雅がない。雑草に雅もないですが、比べてみるとススキのほうが味があります。

Thursday, November 3, 2005

[農暦10月2日] 今日はなんの日?

[農暦] 10月2日 [月齢] 1.31 二日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 薄曇り

今日はなんの日?文化の日。いつも農歴を参照させていただいている[こよみのページ]で見てみると以下のような遍歴があったのですね、知りませんでした・・・(汗)

・文化の日:1948年(昭和23年)に「自由と平和を愛し、文化を進める日」として国が制定した国民の祝日。 
・天長節(明治):1873(明治6)年から1911(明治44)年までの祝日。明治天皇の誕生日。1872(明治5)年までは9月22日に行われていたが、1873(明治6)年の太陽暦の採用にともない、9月22日を太陽暦に換算した11月3日に変更された。1912(明治45)年7月30日の明治天皇の崩御に伴い廃止され、昭和に入ってから「明治節」として復活した。 
・明治節:明治時代の天長節。詳しくは「天長節(明治)」を参照のこと。

[たまには空を見上げてみよう、違った見方がみえてくるかも・・・]

Wednesday, November 2, 2005

[農暦10月1日] 草刈りの後で

[農暦] 10月1日 [月齢] 0.52 新月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 薄曇り

アトリエを取り巻いていた雑草、何とかしなければと先週、そして今日、草刈り機でなぎ倒しました。枯れ始めているために草刈り機の刃が悲鳴を上げています。草が堅いのです。半月前に手をかけていればこんなことはなかったはずでした。今日できることは今日終える、道理ある教訓です。疲れ果てて夕方に昼寝です。

しかし周りを見渡せば秋の色があちらこちらに現れています。この緋色の葉と実は”マユミ”という灌木です。いい色合いです。

Tuesday, November 1, 2005

[農暦9月30日] 秋刀魚の時機ですが・・・

[農暦] 9月30日 [月齢] 28.9 晦日月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 晴れ

やっぱり気象がおかしい。時節は霜降(そうこう)、勝間の炭焼きの達人と話をしてみると、一昔前はもう霜がおり始めていたとのこと。このところは、日中、時として暑い日もあります。

近くのスーパーに秋刀魚が山積みされています。八月の終わりから見られましたが、捕獲された場所は北海道、今でも北海道。いつもですと三陸沖か銚子沖の秋刀魚が水揚げされているはずです。親潮は南下できないでいるようです。やっぱり気象がおかしい。

なんだかんだいっても今時の秋刀魚は美味しい。頭と尾を落とし、ワタを出し、ぶつ切りにして、粗塩をすり込み焼きます。手を加えないのがいい。