[農暦] 7月16日 [新暦] 8月31日 [月齢] 15.2 (十六夜月) (大潮) 晴れ・強風
昨夜は雷と突風が唸りをあげていました。朝方、周辺を見回りましたが市道に小枝が散らばっていたのが見られた程度でほっとしたところです。
決算書を投函するため、かつてこの辺り一帯の中心地だった茂原街道の潤井戸にある郵便局に行きました。ふと気がつくと展示物がロビーに。昭和十年、この郵
便局前に設置されていた石造のポストです。彫り物・くり抜きで、差入口に雨蓋が、取り出し口は右側下に鉄板製の扉がついています。こんな時代もあったので
すね。
Tuesday, August 31, 2004
Monday, August 30, 2004
[農暦7月15日] アブの多かった夏
[農暦] 7月15日 [新暦] 8月30日 [月齢] 14.3 (十五月) (大潮) 曇り
今年の夏は稲も元気、雑草も元気、畑の野菜も元気でしたが、蝉も元気で勝間アトリエ全体が蝉の鳴き声に包まれました。それ以外にも、蜘蛛の糸は母屋のあち らこちらにかけられ、蝶もトンボもその餌食にされたのです。一番困ったのは部屋の中まで入ってくるアブ。何回も刺されました。しばらく腫れは引きません。 今日は蠅たたきが対応、彼の役割は果たせませんでした。夏の終わりです。
今年の夏は稲も元気、雑草も元気、畑の野菜も元気でしたが、蝉も元気で勝間アトリエ全体が蝉の鳴き声に包まれました。それ以外にも、蜘蛛の糸は母屋のあち らこちらにかけられ、蝶もトンボもその餌食にされたのです。一番困ったのは部屋の中まで入ってくるアブ。何回も刺されました。しばらく腫れは引きません。 今日は蠅たたきが対応、彼の役割は果たせませんでした。夏の終わりです。
Sunday, August 29, 2004
[農暦7月14日] 勝間の室内は薄暗い
[農暦] 7月14日 [新暦] 8月27日 [月齢] 13.5 (待宵月) (大潮) 雨
夜空が晴れわたっていれば、勝間では十四番目の月が見れたのですが・・・一日秋雨、最も満ち満ちた中秋の名月はお預けです。
アトリエの居間に灯りはスタンドが三つ、訪れる人から薄暗いと不評を買っています。しかしここでの生活ではこれで十分です・・・
[勝間のデザイン言語] 居間の照明は照度を落としている。仕事場との雰囲気の違いが必要だからだ。天井面にはない。床置きのスタンドとテレビ横の小さな 照明は、イサム・ノグチの竹と和紙でデザインされたもの。二年もすると和紙が熱で変色して黄味を帯びてくる。私は三年ごとにシェードを交換している。買い 換えなければならないことに異議を立てる人もいるが、木と土とい草でできている室内に合っている。
食事のテーブルには天井吊の照明器具もいい。アトリエの居間では、読書を考えて蛍光灯のスタンドにしている。部屋全体を明るくしないのは伝統に準じたもの。電灯を天井に取り付ける習慣は、ランプが導入された後のこと。座敷の生活では、天井が明るい必要もなかったのだろう。
蛍光灯は明るく寿命が長い、それに反して白熱灯は同じワット数で比較すると暗くそのくせ切れやすい。しかし色温度が二つは異なるため、使い分けを心がけている。落ち着いた温かみのある雰囲気は白熱灯が表現しやすい。
夜空が晴れわたっていれば、勝間では十四番目の月が見れたのですが・・・一日秋雨、最も満ち満ちた中秋の名月はお預けです。
アトリエの居間に灯りはスタンドが三つ、訪れる人から薄暗いと不評を買っています。しかしここでの生活ではこれで十分です・・・
[勝間のデザイン言語] 居間の照明は照度を落としている。仕事場との雰囲気の違いが必要だからだ。天井面にはない。床置きのスタンドとテレビ横の小さな 照明は、イサム・ノグチの竹と和紙でデザインされたもの。二年もすると和紙が熱で変色して黄味を帯びてくる。私は三年ごとにシェードを交換している。買い 換えなければならないことに異議を立てる人もいるが、木と土とい草でできている室内に合っている。
食事のテーブルには天井吊の照明器具もいい。アトリエの居間では、読書を考えて蛍光灯のスタンドにしている。部屋全体を明るくしないのは伝統に準じたもの。電灯を天井に取り付ける習慣は、ランプが導入された後のこと。座敷の生活では、天井が明るい必要もなかったのだろう。
蛍光灯は明るく寿命が長い、それに反して白熱灯は同じワット数で比較すると暗くそのくせ切れやすい。しかし色温度が二つは異なるため、使い分けを心がけている。落ち着いた温かみのある雰囲気は白熱灯が表現しやすい。
Friday, August 27, 2004
[農暦7月12日] 今年は干柿になれるか?
[農暦] 7月12日 [新暦] 8月27日 [月齢] 11.3 (宵月) (中潮) 薄曇
枝先にたわわな柿。毎年ここまでは成長するのですが、この先が問題。ヘタ病にやられることが多く、色づく前に落ちてしまいます。最後に白く粉をふいた甘い干柿を口にしたのは何年前だったでしょう。枝から落ちず、冬の寒さが厳しいと、美味しい干柿ができるのですが・・・
枝先にたわわな柿。毎年ここまでは成長するのですが、この先が問題。ヘタ病にやられることが多く、色づく前に落ちてしまいます。最後に白く粉をふいた甘い干柿を口にしたのは何年前だったでしょう。枝から落ちず、冬の寒さが厳しいと、美味しい干柿ができるのですが・・・
Thursday, August 26, 2004
[農暦7月11日] 今日の一汁一菜
[農暦] 7月11日 [新暦] 8月26日 [月齢] 10.4 (宵月) (若潮) 曇り
久しぶりに美味しそうな鰯がお店に並んでいました。姿形がいい。丸々としている。大きさも十分。最近の鰯は水揚げにむらが多く、店に出ていなかったり、小 さかったり。今朝は十分に楽しめました。玄米に炒りゴマ、隣のばっチャンが育てた茄子と豆腐の味噌汁、そして鰯。お皿から飛び出しています。
[勝間の食と食材] 勝間にいるときの食材選びは、地元のもの・季節のものを優先することに心がけている。地元の空気・地元の水、生活の条件とかけ離れていない場で生産されている食材だから。
不足する食材、例えば蛋白源は、黒潮と親潮が交わる銚子の近海ものの魚。やはり鰯と鯵が新鮮で美味しい。価格もあるが、マグロはあまり口にしていない。すし屋のねたも光り物が多い。銚子港でその日に揚がったシマ鯵など絶品だ。
意固地になって食材を選んでいるわけではない。自然とそうなっている。舌が選んでいる。現地に定住しているからだろうか。移動を繰り返す人は違った選び方になるだろう。
久しぶりに美味しそうな鰯がお店に並んでいました。姿形がいい。丸々としている。大きさも十分。最近の鰯は水揚げにむらが多く、店に出ていなかったり、小 さかったり。今朝は十分に楽しめました。玄米に炒りゴマ、隣のばっチャンが育てた茄子と豆腐の味噌汁、そして鰯。お皿から飛び出しています。
[勝間の食と食材] 勝間にいるときの食材選びは、地元のもの・季節のものを優先することに心がけている。地元の空気・地元の水、生活の条件とかけ離れていない場で生産されている食材だから。
不足する食材、例えば蛋白源は、黒潮と親潮が交わる銚子の近海ものの魚。やはり鰯と鯵が新鮮で美味しい。価格もあるが、マグロはあまり口にしていない。すし屋のねたも光り物が多い。銚子港でその日に揚がったシマ鯵など絶品だ。
意固地になって食材を選んでいるわけではない。自然とそうなっている。舌が選んでいる。現地に定住しているからだろうか。移動を繰り返す人は違った選び方になるだろう。
Wednesday, August 25, 2004
[農暦7月10日] 辻に立つ道祖神
[農暦] 7月10日 [新暦] 8月25日 [月齢] 9.26 (宵月) (長潮) 曇りのち晴れ
旧道からアトリエに向かう辻に道祖神が立っています。二尺ほどの高さの石盤に、菩薩風の姿が彫りこまれているのを見ることができます。立てられた時代は知 りません。この道祖神、年に一度御身体が洗われます。春の到来を知らせる節分のころ、竹に御幣がかけられお清めを受けるのです。「春祈祷」の儀式、豊作の 神様を呼び入れるため。幸い、今年は神様が勝間にやってきていたようです。
旧道からアトリエに向かう辻に道祖神が立っています。二尺ほどの高さの石盤に、菩薩風の姿が彫りこまれているのを見ることができます。立てられた時代は知 りません。この道祖神、年に一度御身体が洗われます。春の到来を知らせる節分のころ、竹に御幣がかけられお清めを受けるのです。「春祈祷」の儀式、豊作の 神様を呼び入れるため。幸い、今年は神様が勝間にやってきていたようです。
[勝間のデザイン言語] 勝間を形成しているいくつかの要素の一つ。現在はブロック塀が迫っていて、勝間を訪れる人で気がつくものはいない。写真には写っていないが、道祖神の前には石柱の道標がある。これも高さ二尺程度。道を歩かなければ目に留まることはない。
勝間は谷間の道が一本、茂原街道と結ばれていた。両側には高さ三十メートルほどの山があり、隣接する部落にいくには山を越えなければならなかった。そのた めか、山の上にある畑には、同じように道祖神と道標を見つけることができる。それらは畑の畦道同然のところにあるため、目立つこともない。あるものは傾き かけていたり、欠けていたりしている。
立ったときの目高で見られていた道祖神も道標も、車からでは確認することはできない。生活の中から、地面とそこに近い部分の要素の多くは視覚的な認識から欠落してしまっている。
勝間は谷間の道が一本、茂原街道と結ばれていた。両側には高さ三十メートルほどの山があり、隣接する部落にいくには山を越えなければならなかった。そのた めか、山の上にある畑には、同じように道祖神と道標を見つけることができる。それらは畑の畦道同然のところにあるため、目立つこともない。あるものは傾き かけていたり、欠けていたりしている。
立ったときの目高で見られていた道祖神も道標も、車からでは確認することはできない。生活の中から、地面とそこに近い部分の要素の多くは視覚的な認識から欠落してしまっている。
Tuesday, August 24, 2004
[農暦7月9日] 旧道は生活領域
[農暦] 7月9日 [新暦] 8月24日 [月齢] 8.35 (九夜月) (小潮) 晴
買い物に出ようと車で部落の旧道へ。道の真ん中では部落猫がお休み中です。部落の生活道路ですから、一般車は入ってきませんし、利用するのはわずかに九軒のみ。部落猫には安全地帯。気持ちが和む勝間の風景の一つです。
買い物に出ようと車で部落の旧道へ。道の真ん中では部落猫がお休み中です。部落の生活道路ですから、一般車は入ってきませんし、利用するのはわずかに九軒のみ。部落猫には安全地帯。気持ちが和む勝間の風景の一つです。
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