Monday, April 23, 2001

[勝間通信」 勝間は水不足に悩んでいます

 勝間は水不足に悩んでいます。雨が圧倒的に少ない、例年の15%というからひどいものです。ばっちゃんの田圃の溜め池に見事な鯉が飼われていますが、水不足、湧き水が期待できない、このままでは田圃に水が引けない。

 で、鯉をとるかお米をとるか、バッチャンは悩んでいました。残念ながらこのままでは合鴨まで水が回ってきそうにありません。先日の一雨も期待ができませんでした。 (メールで、「水不足は裏山の産廃が原因」とお話しした方には訂正いたします)

・竹の子の初物

 ついに竹の子の季節です。十日ほど前から、裏山の竹林に人が入り始めました。それからは隣のバッチャン、下の偏屈さん、みなさんが土間に竹の子を置いて いきます。ただ、今年の竹の子は水不足、刺身で美味しいとはいきません。ややエグイ、やや堅い。で、竹の子の混ぜご飯。これが一番でしたね。一週間続きま すのでやはり飽きます。今仕事をしている幕張の現場事務所に持っていき、みなさんに一口ずつ食べていただきました。

・辺りは緑、庭は満開!

 辺り一面緑の海。いや、雑草が押し寄せてきました。これからは肉体を鍛える季節。そのなかにタンポポの絨毯。我が棚田のタンポポはニホンタンポポです。3年前、始めてこちらで見たタンポポは、西洋タンポポとニホンタンポポが半々でした。繁殖力の強さは西洋タンポポです。で、保護政策を採った結果今ではニホンタンポポで埋め尽くされます。

(左)庭のぼけ (右)土手/黄色がれんぎょうピンクがぼけ (4月18日撮影)

Monday, April 16, 2001

[勝間通信」 今年こそ!-合鴨用に池が整備された

 忙しさか、落ち着かないのか、HPの更新が遅れました。ネタだけは溜まっていくのですが。で、次回からはさぼらずご提供していくつもりです。

 昨年はほとんど人様の胃袋行きとなってしまった隣の合鴨、今年はちゃんと田圃で動き回ってくれそうです。週末、隣のお父さんが湧き水を溜めている小さな池を掃除していました。池から田圃までの溝も広げて、網を張る予定だそうです。なにしろ、我が家の猫子は野獣ですので、小鳥を片っ端から捕まえてしまいます。おかげで我が家周辺の小動物の生態系が変わってしまったくらいですから。注意注意。田圃で遊び回る合鴨、見てみたいですから。


左の写真は、杉花粉が飛び散った瞬間です。花粉症でお困りの方には目に毒ですね。しかし、見ている分にはなかなか美しい一瞬です。生憎、私はまだ花粉症に悩まされていません。春先、強風が吹くときには、縁側で目の前の杉木立をのんびり眺めるのが老後の楽しみ?になりそうです。いよいよ杉の子があちらこちらの土の中から芽を出し始めます。あちこちですから抜くのに一苦労。

右の写真は満開の梅。枝振りが悪いのは、隣のバッチャンに剪定せい!と言われたため。ひょんひょん伸びた枝を落としたところ、写真のような様に。この梅、ここ二年間実がなっていません。「桜剪る馬鹿、梅剪らぬ馬鹿」の謂われに従ったところ、評判だったこの梅の木、実が付かなくなってしまいました。勝間に移って始めて収穫した大量の梅の実を、梅エキス・梅ジュース・梅酒・梅干しと、梅づくしできたのですが。梅エキスなどは、匙の先にほんの少しつけてなめるだけで、畑の疲れが吹っ飛んでしまったものです。さあ、今年はどうでしょうか、21世紀に生き残るためにも梅が実を付けることを祈るばかりです。

Thursday, March 15, 2001

[勝間通信」 大風邪でダウン

  先々週、台湾に着いたときから気になっていたのがその気候。薄ら寒くて肌が刺されるような湿気。人曰く、台湾の年間を通じてもっとも最悪な時期、だったようです。おかげで行動は緩慢になるし、同行の小説家には「やる気を無くしていくのがよくわかった」といわれてしまいました。
 結局日本に戻ってみると、発熱・悪寒・疲労ともっとも最悪な組み合わせで床に伏せることになりました。別の人曰く、「日本が寒い時期にはもっと寒い場所へ、日本が暑いときはより暑いところへ旅するのが身体にはいい・・・」。有道理。

・突然の同窓会ー21世紀の「農」を目指して?

  風邪が治ったか!と思った日曜日、突然小学校時代の友人から電話が入りました。近くまで来ているので寄るというもの。上に掲載した写真は、そのとき撮影したものですが、男たち3人(私も入れると4人)に共通しているのは農耕。

 一人は本家本元の農業、入間でポインセチアの園芸栽培を生業としている。NHKに講師ででていたりします。他の一人は合衆国西海岸のサンディエゴでスーパーを何軒か開いているのですが、夢は自分の店先に自分で育てたオーガニック野菜を並べること。そのためにパロマ天文台に近い山間の土地25ヘクタールを購入したばかり。残りの一人は養老渓谷の民家を現代的に改築し、そこでの農耕生活を目指そうとしている大学の講師。

21世紀の農業を背負う男たち?になりえるか (3月10日撮影)
途中参入の農耕者の問題点は、「ところで誰が耕すの?」でしょう。「明日はやるぞ!のために前の晩はお酒が入って・・・」とは奥方の話。サンディエゴの場合は、さすがに広域ですから一人二人でというわけにはいきません、「ヒスパニックを何人か雇って・・・」で、夢の実現にはまだまだ先の話、というオチになりかねません。私とて同じようなもの、小型耕耘機を購入したものの、最後はやはり体力勝負と相成ります。

 我々の希望を語り合う脇で、となりのバッチャンは芽吹き始めた畦の雑草を軽快に刈り取っておりました。


Wednesday, February 28, 2001

[勝間通信」 今年も御幣が路辻に

立春とともに、今年も勝間では春を迎える行事が始まりました。その一つが春祈祷、豊作を願って部落の入り口になる道筋に御幣が祭られます。我がアトリエは、かつて勝間から隣り部落への道筋にあり、ウグイスラインという自動車道路が整備されるまでは小中学校の通学路になっていました。いまでは山の中に入る人しか使っていませんので、我がアトリエ専用の路になってしまいました。

  部落からこの路にでる辻には道祖神が建てられています。このあたりの尾根沿いの路にはよく見られます。そこで部落の人たちは、豊作の神様に部落に留まっていただくよう祈願をかけた、それが春祈祷です。恐らく、農業を生業とする地方の多くでは、このようなことをしたのだろうと思われます。勝間部落では、老人会がこの行事を毎年続けているのだそうです。

 真新しい和紙と藁と竹でできたこの祈祷を見ると、春の到来を視覚的に感じさせてくれます。いよいよ畑の準備、昨年は水不足で小振りのものしか収穫できませんでしたので、今年は豊作を祝うことにしました。

(写真)かつては隣部落へ続く路、今ではアトリエ専用路

Monday, February 12, 2001

[勝間通信」 春が山から下りてきたはずだったのですが・・・

 2月4日は立春、勝間の乾いた色合いが急に変わり始めました。薄緑色が加わったのです。それに蕾だった梅が一輪ついに開きました。目に見えて春がやってきたのがわかります。

 勝間の棚田では、春は他でも知ることができます。毎年今頃、裏山の奥から鵞鳥の群のような鳴き声が始まると春なのです。一晩かけてこの鳴き声は山を下りてきて、まだ冷たい田圃の中で消えます。春がエルの求愛の音です。朝早く、蛙の群はまた山に戻っていきます。平穏な風景の中に、田圃には数多くの卵が残されます。

 ところが今年はどうでしょう。立春の翌日に聴いたラブソングは、その日の夜の雪とともに今日まで聞こえてきません。彼らはまた地中に戻ってしまったのでしょうか。

・勝間アトリエの気温変化を掲載します 
 
今回から、勝間アトリエの気温変化を載せることにしました。
左側のレベルが室内、青の棒グラフがその日の最高気温です。右側のレベルが屋外、赤の棒グラフで表されています。2月2日、立春の前が寒かったですね。ほぼ2.5度でした。屋外の測定器は、北側屋根庇裏に設置しています。日に当たることはありません。屋内は北側6畳、暖房はしていません。寝室に使っています。

 気温の他に、湿度・風向・風速・風力・気圧・降水量が測定できます。特徴がでたときには、ご紹介していきたいと思います。

赤:屋外(右) 青:屋内(左)

Monday, January 29, 2001

[勝間通信」 大雪になると・・・

 1月27日の予想できなかった大雪は、勝間一帯にも被害をもたらしました。まず、雨樋の多くが雪の重みで垂れ下がったり外れたり。暮れに直したばかりの箇所が見事に外れていました。ペンキ屋同様ここもいい加減な仕事だったことがわかりました。棟梁は、昔は自分で手を下したのでしょうが、年をとると口だけになってしまったのか、手伝いの恐らく「百の匠」だった老人をアゴで使っていました。やはりペンキ屋の仕事もそうでしたから、人件費削減がエンドユーザーにしわ寄せされてくるのでしょう。

そう考えると、建物を建てる際に建築家という専門家が設計監理をすることはいいことなのだ、と自分の仕事に納得したりします。(ただ最近の建築を見ると、デザインは建築家に・・・工事はお任せします、的なところが見受けられますが)

大雪は、勝間の風情を一変させます。眺めている分には幽谷な気分を味会わせてくれます。周囲の孟宗竹が雪の重さに枝垂れた姿を眺めながらお茶を一服、墨絵の世界ですね。

(写真上)サルスベリの枝を垂らしたベタ雪 1/27/01
(写真下)雪に覆われた勝間アトリエ 1/27/01



Monday, January 15, 2001

[勝間通信」 このところの寒波がおいしい干し柿を

 
昨秋、庭先の柿の木 こんなのがあと3本 実は小振りですが、味は本格的でした

 前の住み手が挿し木で育てた庭先に柿木が4本、まだ若いですがあります。柿木は日本の農村の原風景みたいなもの、柿の葉のまだらな赤と柿が熟れたときの赤は、都会育ちの私でも幼児記憶にしみこんでいます。
一昨年、干し柿に挑戦、結果はじゅくじゅくで固くならずなおかつカビが表面について口にできませんでした。 こりずに昨年も試みてみました。遅い冬に「だめか」と思っていたところ、寒波到来で一挙に実が締まりコテッとした口当たり、やりましたね。
雨樋の修理の下見にやってきた棟梁に勧めたところ、「いやいや・・・」、「おいしいですよ、ほら」と食べてみせると、「ほう、そうかい。そんじゃ一つ」「ほー、こりゃうまい」。

・「アジアから主食が消えていく」 / ちょっとお米の話

先日、NHKの「アジアから主食が消えていく」という番組を見ました。アジアの新興農業国が商品として米を作り始めたことにより、結果穀物不足に陥ってしまった、なぜか?というおはなしで、
解説者の熊本大学徳野貞雄氏曰く・・・

「稲作は地域の家族、文化、環境と一体。旧大陸の(中国等)と異なり新(インドネシア等)大陸の稲作は商品として、経済作物として進められた。インドの緑の革命、イリ米政策は失敗。これは工業製品としての米は自然の摂理を越えられなかったこと・・・」

「田圃は単に米だけ作っていたのではなくて、魚がおったり野菜ができたりトータルな食品を作っていた。工業製品としての米は米だけのことを考えるので、結果として魚や野菜がなくなってしまった。米だけの生産性を追ってもだめ・・・」

なんて話なんですが、私にはとても興味深かった。

・ WebPage顛末記

年賀状にWebPageのアドレスを入れた関係で、年末は夜なべでPageづくり、仕事の夜なべより厳しかったのでした。結果、最初の立ち上げは不十分な出来上がり、年明けからは日々補修に明け暮れる始末でした。立ち寄った方にはご迷惑かけました。
まだ手が着いていないのが、本業の建築関係、困ったものです。あとは中国語の書き手がなかなか見つからない。困ったものです。(できないものはやるな! )
ご意見をいただければ幸せです。重い、見にくい、文章がおかしい、何でも結構です。
投稿はもっとも期待しています。